3) 高麗茶碗 (こうらいちゃわん)
朝鮮の陶磁器は、我が国にも、大きな影響を与えます。
特に、茶の湯の世界では、高麗茶碗と呼ばれる、抹茶々碗が渡来し、茶人の間で、珍重されます。
③ 三島手: 室町末頃から、井戸茶碗とともに、人気を博した茶碗です。
粉青沙器の一種で、素地に印刻した後、白土を掛け、白土を拭き取ると、刻印部分に模様が白く
浮き上がる技法で、三島、彫り三島(掻き落し)、刷毛目三島、花三島などがあります。
(尚、三島の名前は、我が国で付けられたものです。)
) 三島手: 素地に木型の小紋を、連続的に刻印し、白化粧土を掛けてから、拭き取り、文様を
象嵌風に白く表します。 李朝初期~中期にかけて、朝鮮南部一体で焼かれたものです。
秀吉の文禄慶長の役で、窯場は荒廃し、次第に衰退していきます。
) 刷毛目三島: 三島の最後の工程を、省略した物とも思われます。
即ち、白土を拭き取らずに、仕上げたものです。
尚、刻印文様の無い、無地刷毛目茶碗もあります。約束事として、外側腰以下は、刷毛目が
無い事です。 時期的には、三島手と同じで、同じ窯で焼成されたと思われます。
) 花三島茶碗(李朝): 花文様を全面に印刻し、白化粧土を掛けた茶碗です。
文様は、梅花、菊花や四弁の花文などが、帯状に2~5段連なっています。
中には、象嵌模様を併せ持った、茶碗もあります。
④ 粉引茶碗(又は粉吹茶碗): 三島手との違いは、白土の掛け方の差です。
白土を、釉薬と同じ様に、流し掛けたり、漬け掛けして、表面に塗ります。
素地は、黒褐色の肌理の細かい土で、薄作りの作品が多いです。
又、景(けしき)として、故意に火間(ひま)を作っている場合が多いです。
火間とは、茶碗の外側に、長めの三角形の塗り残しを、作るものです。
更に、雨漏りと称し、一種の「しみ」が浮き出てくるのも、景として茶人に喜ばれます。
茶碗のみならず、懐石で使用される、徳利もあります。
著名な粉引茶碗に、鴻池伝来の銘「宇治山」があります。
⑤ 堅手茶碗(かたてちゃわん): 粉引と同様に厚めの、白土が掛かっています。
名前の由来は、手触りが堅い事(磁器質)からと、言われています。
李朝初期~中期にかけて、慶尚南道の河東や、金海などの窯で、焼かれたものです。
) 古堅手は特に、人気があり、作行は軽快で、轆轤目が目立ち、竹の節高台で、梅花皮
(かいらぎ)もあり、雨漏りと言い紫色の「しみ」は、茶人に珍重されます。
) 釜山近郊の金海窯産は、金海堅手と呼ばれ、ピンクの斑文(御本と言う)が出ていつ物が
多いです。釉は潤いのある柔和ですが、貫入が荒く入っています。
) 堅手茶碗の名品に、銘「神無月」があります。
⑥ 我が国でも、白化粧土を使った、茶碗が作られる様に成ります。
朝鮮の窯場が、秀吉の出兵で、大打撃を受け、粉青沙器は生産を止めてしまいます。
その為、茶人の需要に応じる為、我が国でも製作される様に成ります。
) 江戸前期に、古八代焼(高田焼=こうだやき)で青磁象嵌筒茶碗が、焼かれています。
銘「雲鶴」、銘「千代鶴」などがあります。
又、江戸後期には、赤膚焼でも、三島写象嵌文茶碗を作っています。
) 古曾部焼(高槻市古曾部)、柳原焼(久留米市柳原)などで、江戸後期に、李朝の刷毛目写
茶碗が作られています。その他、京都の青木木米も、刷毛目写茶碗を作っています。
以上で、朝鮮の陶磁器の話(粉青沙器)を、終わります。
次回より別のテーマで、お話しする予定です。
朝鮮の陶磁器は、我が国にも、大きな影響を与えます。
特に、茶の湯の世界では、高麗茶碗と呼ばれる、抹茶々碗が渡来し、茶人の間で、珍重されます。
③ 三島手: 室町末頃から、井戸茶碗とともに、人気を博した茶碗です。
粉青沙器の一種で、素地に印刻した後、白土を掛け、白土を拭き取ると、刻印部分に模様が白く
浮き上がる技法で、三島、彫り三島(掻き落し)、刷毛目三島、花三島などがあります。
(尚、三島の名前は、我が国で付けられたものです。)
) 三島手: 素地に木型の小紋を、連続的に刻印し、白化粧土を掛けてから、拭き取り、文様を
象嵌風に白く表します。 李朝初期~中期にかけて、朝鮮南部一体で焼かれたものです。
秀吉の文禄慶長の役で、窯場は荒廃し、次第に衰退していきます。
) 刷毛目三島: 三島の最後の工程を、省略した物とも思われます。
即ち、白土を拭き取らずに、仕上げたものです。
尚、刻印文様の無い、無地刷毛目茶碗もあります。約束事として、外側腰以下は、刷毛目が
無い事です。 時期的には、三島手と同じで、同じ窯で焼成されたと思われます。
) 花三島茶碗(李朝): 花文様を全面に印刻し、白化粧土を掛けた茶碗です。
文様は、梅花、菊花や四弁の花文などが、帯状に2~5段連なっています。
中には、象嵌模様を併せ持った、茶碗もあります。
④ 粉引茶碗(又は粉吹茶碗): 三島手との違いは、白土の掛け方の差です。
白土を、釉薬と同じ様に、流し掛けたり、漬け掛けして、表面に塗ります。
素地は、黒褐色の肌理の細かい土で、薄作りの作品が多いです。
又、景(けしき)として、故意に火間(ひま)を作っている場合が多いです。
火間とは、茶碗の外側に、長めの三角形の塗り残しを、作るものです。
更に、雨漏りと称し、一種の「しみ」が浮き出てくるのも、景として茶人に喜ばれます。
茶碗のみならず、懐石で使用される、徳利もあります。
著名な粉引茶碗に、鴻池伝来の銘「宇治山」があります。
⑤ 堅手茶碗(かたてちゃわん): 粉引と同様に厚めの、白土が掛かっています。
名前の由来は、手触りが堅い事(磁器質)からと、言われています。
李朝初期~中期にかけて、慶尚南道の河東や、金海などの窯で、焼かれたものです。
) 古堅手は特に、人気があり、作行は軽快で、轆轤目が目立ち、竹の節高台で、梅花皮
(かいらぎ)もあり、雨漏りと言い紫色の「しみ」は、茶人に珍重されます。
) 釜山近郊の金海窯産は、金海堅手と呼ばれ、ピンクの斑文(御本と言う)が出ていつ物が
多いです。釉は潤いのある柔和ですが、貫入が荒く入っています。
) 堅手茶碗の名品に、銘「神無月」があります。
⑥ 我が国でも、白化粧土を使った、茶碗が作られる様に成ります。
朝鮮の窯場が、秀吉の出兵で、大打撃を受け、粉青沙器は生産を止めてしまいます。
その為、茶人の需要に応じる為、我が国でも製作される様に成ります。
) 江戸前期に、古八代焼(高田焼=こうだやき)で青磁象嵌筒茶碗が、焼かれています。
銘「雲鶴」、銘「千代鶴」などがあります。
又、江戸後期には、赤膚焼でも、三島写象嵌文茶碗を作っています。
) 古曾部焼(高槻市古曾部)、柳原焼(久留米市柳原)などで、江戸後期に、李朝の刷毛目写
茶碗が作られています。その他、京都の青木木米も、刷毛目写茶碗を作っています。
以上で、朝鮮の陶磁器の話(粉青沙器)を、終わります。
次回より別のテーマで、お話しする予定です。