わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

朝鮮の陶磁器(粉青沙器2)

2011-08-23 22:04:58 | 世界の陶磁器の歴史
 粉青沙器(ふんせいさき)の胎土は、青磁の土と同じものですが、釉は青磁釉より淡い、淡青色を

 帯びた、灰白色か淡青や淡黄褐色で、おおむね、淡く透明な白色に近い色のものが、多いです。

 初期の頃は、部分的に使われた白化粧土も、次第に器全体を、埋め尽くす様に成っていきます。

 即ち、行く着く先は、白磁と成るのは、当然とも言えます。

 各地の地方官窯の作品が、地方の官邸で、使用されると同時に、中央王室や官庁では、広州官窯の

 作品が使われる様になります。

2) 壬辰和乱 (じんしんわらん) 1592~1598年

 ① 豊臣秀吉は、国内を統一後、朝鮮に出兵します。これが、「文禄、慶長の役」と呼ばれる戦争です。 

   この戦乱で、朝鮮の多くの窯場は、大打撃を受けます。特に多くの陶工が、日本に拉致されます。

 ② 相当期間、窯は再開されませんでしたが、広州官窯だけが、中央官邸などの、作品を作る為に、

   再建されます。優秀な陶工が、特別待遇で、集められ規模を拡大してゆきます。

 ③ 乱の前に生産されていた、粉青沙器は、乱後には、ほとんど生産されず、白磁のみが生産が

   再開されます。 粉青沙器は、この時点で消滅していきます。

3) 高麗茶碗 (こうらいちゃわん)

   朝鮮の陶磁器は、我が国に大きな影響を与えます。

   特に、茶の湯の世界では、高麗茶碗と呼ばれる、抹茶々碗が渡来し、茶人の間で、珍重されます。

   高麗茶碗の中でも、室町末の早くから格別に、尊びられていたのは、井戸茶碗です。

   俗に「一井戸、二楽、三唐津」と言い、茶人の人気を集めます。

   以下、粉青沙器に関係する、茶碗についてお話します。

 ① 高麗茶碗とは、高麗時代(918~1392年)の茶碗の意味ではなく、朝鮮の茶碗の意味で、

   当時朝鮮を、高麗と呼んでいた名残です。

   次に述べる、古雲鶴青磁(こうんかくせいじ)以外は、ほとんどが、李朝時代の作です。

   高麗茶碗も、中国の茶碗と同じ様に、唐物茶碗に分類します。

 ② 古雲鶴茶碗 (高麗時代)

   江戸初期にも、我が国から朝鮮に、雲鶴手の茶碗が発注されますが、釉の色や、形も異なります。

   これと区別する為、高麗時代に作られた、雲鶴青磁を、古雲鶴と呼びます。

   (尚、江戸期の物には、見込みに篆刻風の、押し印があります。)

   多くは、筒型茶碗で、白、黒土の象嵌青磁です。雲鶴模様の物が多いですが、亀甲文などもあります。

  著名な茶碗としては、銘 「匹田筒(ひったつつ)」の古雲鶴青磁茶碗(京都の茶人匹田宗観所有)や

  李朝中期の、亀甲繋象嵌(きっこうつなぎぞうがん)の筒茶碗があり、薄く作られています。

 ③ 三島手: 室町末頃から、井戸茶碗とともに、人気を博した茶碗です。

以下次回に続きます。
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