東奔西歩の 『出路迦芽』 写真館

『人も歩けば...』でデジカメ片手に東奔西歩し出会ったお気に入りの写真と日々変化する富士山の写真をお届けします。

七五三で賑わっていた三嶋大社

2005年10月23日 | 神社・仏閣・仏像

 昨日、楽寿園を訪れた後、せっかくなので久々に三嶋大社を訪れました。
本殿に向かっていると七五三のお参りから帰る人達に出会いました。
デジカメがすっかり広まり活躍していました。
本殿も普通の参拝客で賑わっていました。
JR三島駅へと歩いて帰り、プラットホームで電車が来るのを待っていたら、燃えるような真っ赤な夕日が歓迎してくれました。

1枚目~3枚目は、三嶋大社で撮影した写真です。







4枚目は、三島駅のプラットホームで歓迎してくれた真っ赤な夕日です。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月23日15時46分~53分、16時47分
  撮影場所:三嶋大社、三島駅(静岡県三島市)


小松宮彰仁親王別邸だった三島楽寿館

2005年10月22日 | 風景
 
 10月22日の今日は、朝起きると天気予報が外れ雨が降っており、出鼻をくじかれ、朝食後の田子の浦散歩を楽しみ、テレビを見ていたら、三島の楽寿園で山野草まつりが開催されていることがローカルニュースで流れており、インターネットで調べて見ると自然豊かな公園と書かれており、午後からまだ訪れたことの無かった楽寿園に出かけました。
楽寿園はJR三島駅のすぐ南に位置し、うっそうとした森に囲まれた広さ約71,800㎡の自然豊かな公園で、明治維新に活躍した小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、1952年より三島市が管理運営しています。(入園料300円)
楽寿園の中にある高床式数寄屋造りの楽寿館の館内には、帝室技芸員をはじめ、明治時代を代表する日本画家たちによる210面に及ぶ襖絵・杉板戸絵・天井画等が施されており、1日2回一般公開されており、今回13時30分の公開に逢わせて出かけました。
なぜか子供は入館お断りになっており、中へ入ると入り口の鍵を閉めて説明の終わる30分間は外に出られないと言う不思議な管理方法をしており、中での写真撮影ももちろん禁止でしたが、襖絵や天井絵、茶室などを堪能することが出来ました。
唯一残念だったのは、渇水している小浜池で、ここが満水になるのは数年に1度とのことでした。
園内のモミジはまだまだ青々としており、紅葉の時にもう一度訪れてみたいです。

1枚目の写真は、楽寿館の一般公開の入館状況です。 中に入れない子供がかわいそうでした。 



2枚目は、渇水の小浜池と楽寿園です。 満水なら絵になるのになぁ~と思いました。 前回満水になったのは、2003年9月とのことです。



3枚目は、楽寿園の中にある小さな滝です。 小さいながらも迫力がありました。



4枚目は、みどりヶ池を泳ぐ白鳥やカモです。 三島は、水の街と言われており、渇水している小浜池以外の池は水を貯えていました。 



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月22日13時29分~15時19分
  撮影場所:楽寿園(静岡県三島市)

心がhighになる夷耶馬の景観

2005年10月22日 | 国東半島
 
<第7回国東半島仏の里ウォーク第2日目:国見YH、赤根の湯P~真玉温泉 10月9日>

 今日の写真は、中山仙境の登山口の焼尾より眺める夷耶馬です。
耶馬渓の景観に負けない素晴らしさです。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月9日10時6分
  撮影場所:大分県香々地町焼尾


転のゴール 本州最北端 大間崎

2005年10月22日 | 日本列島縦断歩く旅

<「日本列島縦断歩く旅」その56-1(大湊駅~大間崎) 8月21日 3日目 佐井村福浦~大間崎~大間町 37km 思い出の写真より>

 今日は、歩いて到達できる本州最北端大間崎の写真です。
雨に洗われ綺麗になったなつかしの「ここ本州最北端の地」の碑が歓迎してくれました。
1989年1月3日に本州最南端の佐多岬を出発して、56回の歩く旅を重ね、道中日本一の3776mの富士山のてっぺんにも立ち、延べ歩行日数=256日、歩行距離=8868km、歩行時間=2977時間27分となり、「塵も積れば山となる」のことわざを実感する、嬉しい「起承転結」の転のゴールでした。

1枚目は、以前訪れた時は無かった「まぐろ一本釣りの町 おおま」の碑で、大きなマグロが歓迎してくれました。 後ろには、海に浮かぶ大間崎灯台も見えます。



2枚目は、懐かしの「ここ本州最北端の地」の碑です。
携帯で碑の写真を撮っている女性がいました。



3枚目は、本州最北端の眺めを楽しむウミネコです。



4枚目は、ザックを背負って「ここ本州最北端の地」の碑を撮影していたら、声をかけてきて、「今回大湊から歩いてきた。」と言うと200円也の「本州最北端大間崎到着証明書」を無料でくれた「本州最北端のおみやげ屋」です。



5枚目は、「ここ本州最北端の地」の碑の近くにあった「日本列島」の嬉しい地図です。
本土最南端 佐多岬、本州最北端 大間崎、日本最北端 宗谷岬 等の日本列島の端が描かれており、しばし見入ってしまいました。



<撮影データ>
 撮影日時:2005年8月21日16時21分~48分
 撮影場所:青森県大間町大間崎

流れる雲と競演の富士山

2005年10月21日 | 富士山
 
 10月21日の今日は、朝起きると2日ぶりに綺麗な富士山が見えて朝食後に田子の浦散歩に出かけました。
 今日は風に雲が流れて田子の浦から見た時は雲が少しあるだけでしたが、散歩から戻って、時々窓の外から富士山を眺めると、雲の位置が刻々と変わっていました。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月21日7時25分
  撮影場所:静岡県富士市中丸


焼尾塔ノ本国東塔

2005年10月21日 | 国東半島
 
<第7回国東半島仏の里ウォーク第2日目:国見YH、赤根の湯P~真玉温泉 10月9日>

 今日の写真は、夷耶馬の中山仙境の登山道へと向かう途中で歓迎してくれた焼尾塔ノ本国東塔です。
 基礎二重、台座、塔身、笠、相輪が揃っており、高さ234cmあり、南北朝鮮時代の作と言われています。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月9日10時4分
  撮影場所:大分県香々地町焼尾

大間のマグロ船?

2005年10月21日 | 日本列島縦断歩く旅

<「日本列島縦断歩く旅」その56-1(大湊駅~大間崎) 8月21日 3日目 佐井村福浦~大間崎~大間町 37km 思い出の写真より>

 今日は、大間港に停泊する漁船の写真です。
マグロで有名な大間。 マグロ船かどうか解りませんが意外に小さな船が岸より少し離れた所に並んでいました。




<撮影データ>
 撮影日時:2005年8月21日15時52分
 撮影場所:青森県大間町大間

「あっ スズメバチの巣だ!」

2005年10月20日 | 国東半島
 
<第7回国東半島仏の里ウォーク第2日目:国見YH、赤根の湯P~真玉温泉 10月9日>

 今日の写真は、夷耶馬への入り口の焼尾公園で歓迎してくれた「スズメバチの巣」です。
川向こうの眺めを楽しんでいたら「あっ スズメバチの巣だ!」と言う声が聞こえ、岩肌の部分を眺めてみたら、確かにスズメバチの巣がありました。 「良く見つけたなぁ~。」と感心しました。
川を挟んで反対側に巣があるので、安心して写真撮影を楽しみました。

1枚目は、スズメバチの巣のある岩肌の全景です。
どこにスズメバチの巣があるか解りますか?



2枚目は、デジカメの望遠側で撮影したスズメバチの巣です。 大きなスズメバチの巣でした。



<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月9日9時51分~52分
  撮影場所:大分県香々地町焼尾公園


名前で選んだ民宿「最北端」

2005年10月20日 | 日本列島縦断歩く旅

<「日本列島縦断歩く旅」その56-1(大湊駅~大間崎) 8月21日 3日目 佐井村福浦~大間崎~大間町 37km 思い出の写真より>

 今日の写真は、この日の宿の民宿「最北端」です。
実際は大間崎に民宿があり最北端の宿ではありませんが、本州最北端大間崎到着記念の宿はここしか無いと名前で選びました。
 宿の前を通った時に、一瞬思いザックを宿に預けて大間崎へ行こうかと思いましたが、やはり「重い出いっぱい」のザックなので、背負って2km先の大間崎まで行くことにしました。 
案内の看板に「大間漁師の新鮮味」と書いており、夕食の料理を期待して大間崎へと向かいました。





<撮影データ>
 撮影日時:2005年8月21日15時36分~37分
 撮影場所:青森県大間町大間

雨に洗われた青空に浮かぶ富士山

2005年10月19日 | 富士山

 10月19日の今日は、朝起きると久々に富士山が綺麗に見えて朝食後に田子の浦散歩に出かけました。
 昨日の燃えるような夕焼け(まだ会社にいて撮影できず残念)で、今日の富士山を期待していましたが、期待通りに3日間の雨に洗われた青空に浮かぶ富士山が綺麗でした。

<撮影データ>
  撮影日時:2005年10月19日6時41分
  撮影場所:静岡県富士市田子の浦