ここから国道1号線の側道に出て、東の方に歩きました。しばらく歩いていると、分岐点がありました。東海道と国道一号線の分かれ道です。そして本宿界隈の大きな案内板が設置されていました。
東海道の方に進み、引き返すかたちで西の方に進みました。左手(北)に大きなお寺がありました。法蔵寺です。
法蔵寺山門
③ 近藤勇首塚
このお寺に近藤勇の首塚があるようです。
近藤勇首塚
なぜ三河のこのお寺に近藤勇の首塚があるのか、その理由が説明板に書かれていました。
石碑、胸像の説明版
近藤勇首塚の由来
新選組隊長近藤勇は、慶應4年(明治元年)4月25日、35歳で東京都板橋の刑場の露と消えました。
刑後、近親者が、埋められた、勇の死体を人夫に頼んで夜中ひそかに掘り出してもらい、東京都三鷹の竜源寺に埋葬しました。
また、勇の首は処刑後、塩漬けにして京都に送られ、三条大橋の西にさらされました。それを同志が三晩目に持ち出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼することにしました。
しかし、和尚はその半年前から三河国法蔵寺の三十九代貫主として転任されていたので、法蔵寺に運ぶことにしました。
この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて、ひそかに埋葬するのに好適の地でした。しかし、当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして杳華していました。
そして、いつか石碑の存在も忘れられてしまいました。昭和33年、総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになりました。
今回、石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにいたしたのであります。
法蔵寺 執事
新選組ファンにはたまらない胸像と石碑だと思いました。
近藤勇胸像
続く
東海道の方に進み、引き返すかたちで西の方に進みました。左手(北)に大きなお寺がありました。法蔵寺です。
法蔵寺山門
③ 近藤勇首塚
このお寺に近藤勇の首塚があるようです。
近藤勇首塚
なぜ三河のこのお寺に近藤勇の首塚があるのか、その理由が説明板に書かれていました。
石碑、胸像の説明版
近藤勇首塚の由来
新選組隊長近藤勇は、慶應4年(明治元年)4月25日、35歳で東京都板橋の刑場の露と消えました。
刑後、近親者が、埋められた、勇の死体を人夫に頼んで夜中ひそかに掘り出してもらい、東京都三鷹の竜源寺に埋葬しました。
また、勇の首は処刑後、塩漬けにして京都に送られ、三条大橋の西にさらされました。それを同志が三晩目に持ち出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼することにしました。
しかし、和尚はその半年前から三河国法蔵寺の三十九代貫主として転任されていたので、法蔵寺に運ぶことにしました。
この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて、ひそかに埋葬するのに好適の地でした。しかし、当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして杳華していました。
そして、いつか石碑の存在も忘れられてしまいました。昭和33年、総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになりました。
今回、石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにいたしたのであります。
法蔵寺 執事
新選組ファンにはたまらない胸像と石碑だと思いました。
近藤勇胸像
続く
旧東海道歩きで本宿界隈は見所があり楽しめました。
本宿駅も確か模型があったような…記憶が曖昧になってる。
冨田病院の小さな資料館も開けたら見ることができました。
滋賀県には自称世界一小さい資料館があるけど、ここも負けてないと思いました(笑)
宝蔵寺は、法蔵寺ですね。
近藤勇の像にも驚きました。直視するのが恐いほどリアルでした。
街道歩きは意外な史跡を発見できて面白くてやめられません😁
というか、寄り道ばかりするので全然先へ進まない😥
江戸に到着するのは無理だと半ばあきらめてます😅
コメントありがとうございます。
本宿には友人があり、なんどか行ったことがありましたが、友人の家はもう少し南の山の方だったので、東海道沿いは通り過ぎていました。今回山中城が二つあるということで、訪れましたが、東海道を偲ぶいろいろな旧跡が整備されていて、町の人の郷土愛を感じることができました。
「法蔵寺」の件、ありがとうございました。さっそく記事を直したいと思います。