愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

椎(しい)城跡(2) 豊田市

2015年09月26日 12時22分39秒 | 豊田市
則定陣屋跡
椎城跡への登城口は、則定小学校の右側の道を登っていきます。則定小学校は、陣屋だったそうです。グランドに看板がありました。


登城口
グランドの横をさらに道なりに登っていきますと、「熊埜神社」があります。それを過ぎると、「鈴木正三公園」があります。先に紹介しました「正三、重成の像」があります。椎城跡へはその鈴木正三公園を右に進み、緑色の東屋の右側から入っていきます。なかなか分かりにくい道でした。

矢印(実際は矢印はありません。合成です。)を進んでいきますと、下記のような看板があります。「正三みちロマンコース」とありますので、戸惑いましたが、これが登城道です。

「正三みちロマンコース」と書かれた看板

この「正三みちロマンコース」は、かなりきつい登り道でした。この道をひたすら登っていくと、分かれ道に出ます。

この地形、ちょっと堀っぽいと感じました。

十六羅漢
標識に従って、さらに登っていきますと、「十六羅漢」というのがありました。「羅漢」というのは、「阿羅漢」の略で、民衆を救済する16人の修行僧のことを言うようです。(ウィキペディア)

十六羅漢、大きな岩に囲まれるように小さな石仏がありました。

椎城Ⅱ郭
十六羅漢を過ぎると大きな堀切が見えました。ここから椎城です。

椎城概要図(「愛知の山城ベスト50」より、作画 石川浩治氏)

堀切A

堀切Aを左に折れるとⅡ郭があり、土塁がありました。しかし、かなり低くなっていて、ぱっと見分かりませんでした。

Ⅱ郭東の土塁

鈴木重氏の墓
Ⅱ郭は、途中段差があり、高くなったところに「當椎城主鈴木重氏墳」と書かれた墓がありました。しかしこの人物がどのような人物かは分かっていないそうです。


Ⅱ郭からⅠ郭へ
Ⅱ郭をさらに進んで行きますと、Ⅰ郭とⅡ郭を分ける大きな堀切がありました。Ⅰ郭はけっこう高いところにありました。


そして、振り返ると、Ⅱ郭の北の腰曲輪が続いていました。

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