2日目は高知県です。
高知県は初めてです。
南国土佐 高知市
高知市には電車が走っていました。
高知市の市電。ローソンの広告をしていました。
さらに高知城に近づくと道路の中央分離帯にソテツの木が並んでいました。こんな光景見たことありませんでした。「南国土佐だ。」と思わず叫びそうでした。
ソテツが並ぶ高知市の道路。
高知城
いよいよ高知城に到着しました。
高知城マップ(現地パンフレットより)マップの赤い線に沿って見学しました。
山内一豊
まず、出迎えてくれたのは、山内一豊の像です。
高知城を案内していただいたボランティアの方です。
そのボランティアさんが一押しで勧めるビューポイントです。
高知城。右手前が大手門、中央奥が天守閣です。大手門と天守閣が一望に見えるので、ここが一番のポイントだとおっしゃっていました。
板垣退助
大手門をくぐると板垣退助の像がありました。高地県は有名人が多いですね。「板垣死すとも自由は死なず」という言葉が個人的には好きなので、その言葉を思い出しました。
板垣退助の像
石どい
石垣には、「石どい」がありました。ここから水が流れ落ちます。
高知城の石どい。松山城のものより長く外に突き出ています。これは、雨水が直接石垣があたらないようにという、雨の多い高知ならではの工夫だそうです。(現地案内板より)
山内一豊の妻千代と内助の功
階段を登っていきますと、右手にこんどは山内一豊の妻千代の像がありました。
千代の像。夫である山内一豊が織田信長に仕えた頃、「馬揃え」といって、戦いの前に家臣たちの馬を信長が調べるために、一堂に馬を集めたそうです。一豊は、この馬揃えのために、ほしい馬があったのですが、高くて買えません。そこで、妻の千代が、嫁入りのときに父から「何かあったときに」と渡されていた10両をぽんと出したそうです。一豊はそのおかげで、信長に認められたということです。10両とは、今のお金で250万円くらいだそうです。
ボランティアガイドさんに教えていただいた有名な内助の功の話です。
高知県は初めてです。
南国土佐 高知市
高知市には電車が走っていました。
高知市の市電。ローソンの広告をしていました。
さらに高知城に近づくと道路の中央分離帯にソテツの木が並んでいました。こんな光景見たことありませんでした。「南国土佐だ。」と思わず叫びそうでした。
ソテツが並ぶ高知市の道路。
高知城
いよいよ高知城に到着しました。
高知城マップ(現地パンフレットより)マップの赤い線に沿って見学しました。
山内一豊
まず、出迎えてくれたのは、山内一豊の像です。
高知城を案内していただいたボランティアの方です。
そのボランティアさんが一押しで勧めるビューポイントです。
高知城。右手前が大手門、中央奥が天守閣です。大手門と天守閣が一望に見えるので、ここが一番のポイントだとおっしゃっていました。
板垣退助
大手門をくぐると板垣退助の像がありました。高地県は有名人が多いですね。「板垣死すとも自由は死なず」という言葉が個人的には好きなので、その言葉を思い出しました。
板垣退助の像
石どい
石垣には、「石どい」がありました。ここから水が流れ落ちます。
高知城の石どい。松山城のものより長く外に突き出ています。これは、雨水が直接石垣があたらないようにという、雨の多い高知ならではの工夫だそうです。(現地案内板より)
山内一豊の妻千代と内助の功
階段を登っていきますと、右手にこんどは山内一豊の妻千代の像がありました。
千代の像。夫である山内一豊が織田信長に仕えた頃、「馬揃え」といって、戦いの前に家臣たちの馬を信長が調べるために、一堂に馬を集めたそうです。一豊は、この馬揃えのために、ほしい馬があったのですが、高くて買えません。そこで、妻の千代が、嫁入りのときに父から「何かあったときに」と渡されていた10両をぽんと出したそうです。一豊はそのおかげで、信長に認められたということです。10両とは、今のお金で250万円くらいだそうです。
ボランティアガイドさんに教えていただいた有名な内助の功の話です。
コメントありがとうございます。
お城への関心が高まってきたとのこと、うれしいですね。このブログをみて、そういう感想をもっていただき、感謝です。
高知城の見学記を続けてアップしますので、よろしくお願いします。