今日は秋の紅葉めぐり(パート2)ということで、再び山城を目指しました。
目的の城は文殊山城(もんじゅやまじょう)と塞ノ神城(さいのかみじょう)です。この二つは、新城市の作手というところにあり、三河高原です。紅葉が期待できます。また、近くにありますので、二ついっぺんに周ることにしました。
文殊山城
文殊山城は、案内掲示板には以下のように書かれていました。
「この城跡は亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~72)に武田氏との和睦の証として塞ノ神城とともに築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にして築いたので、一夜城とも言われる。(後略)」
武田信玄は三河攻めの最中に病死したとされています。元亀4年ごろです。したがって、武田勢としてはあせって「早くしろ」と急き立てたのでしょう。信玄の死後、この城がどのようにつかわれたのか、知りたいところです。
お城は駐車場のすぐ上にありました。
文殊山城縄張り図(現地案内板に書き込みました。)
主郭
主郭に入るとすぐに文殊堂がありました。
文殊堂。中に文殊菩薩の石の座像がありました。
その横には宝篋印塔(ほうきょういんとう)がありました。
宝篋印塔
物見櫓
また主郭の西南には櫓台が建てられていました。なかなか雰囲気を出していました。
櫓台
土塁
主郭西側の虎口跡は分かりにくかったのですが、その右側から主郭北の土塁が残っていました。
主郭北の土塁
横堀
この土塁の下には横堀がありました。
主郭北の横堀
虎口
この横堀をずんずん進んで行きますと、帯曲輪になり、やがて東側の虎口に到達します。
Ⅰ郭西側の虎口。横にかなり古そうなブナの大木がありました。
土橋 堀切
この虎口を出てすぐに小さな曲輪があり、さらに東に進むと土橋があって、その両側は堀切になっていました。
土橋と堀切(東側から見る)
紅葉
最後に物見櫓に登りました。
物見櫓からの景色。作手の様子が一望のもとに見えました。紅葉もきれいでした。やったあ。
目的の城は文殊山城(もんじゅやまじょう)と塞ノ神城(さいのかみじょう)です。この二つは、新城市の作手というところにあり、三河高原です。紅葉が期待できます。また、近くにありますので、二ついっぺんに周ることにしました。
文殊山城
文殊山城は、案内掲示板には以下のように書かれていました。
「この城跡は亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~72)に武田氏との和睦の証として塞ノ神城とともに築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にして築いたので、一夜城とも言われる。(後略)」
武田信玄は三河攻めの最中に病死したとされています。元亀4年ごろです。したがって、武田勢としてはあせって「早くしろ」と急き立てたのでしょう。信玄の死後、この城がどのようにつかわれたのか、知りたいところです。
お城は駐車場のすぐ上にありました。
文殊山城縄張り図(現地案内板に書き込みました。)
主郭
主郭に入るとすぐに文殊堂がありました。
文殊堂。中に文殊菩薩の石の座像がありました。
その横には宝篋印塔(ほうきょういんとう)がありました。
宝篋印塔
物見櫓
また主郭の西南には櫓台が建てられていました。なかなか雰囲気を出していました。
櫓台
土塁
主郭西側の虎口跡は分かりにくかったのですが、その右側から主郭北の土塁が残っていました。
主郭北の土塁
横堀
この土塁の下には横堀がありました。
主郭北の横堀
虎口
この横堀をずんずん進んで行きますと、帯曲輪になり、やがて東側の虎口に到達します。
Ⅰ郭西側の虎口。横にかなり古そうなブナの大木がありました。
土橋 堀切
この虎口を出てすぐに小さな曲輪があり、さらに東に進むと土橋があって、その両側は堀切になっていました。
土橋と堀切(東側から見る)
紅葉
最後に物見櫓に登りました。
物見櫓からの景色。作手の様子が一望のもとに見えました。紅葉もきれいでした。やったあ。
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