11月14日から16日まで「若越城の会」の研修旅行に参加しました。コースは、14日福山城、広島県立博物館(草戸千軒遺跡)、15日広島城、郡山城址、16日吉川元春館跡、万徳院跡です。
福山城天守閣
1966年(昭和41年)に再建され、5層6階地下1階別に2層3階の付櫓を持つそうです。中は博物館になっていました。見学時間が間近かになったところで急いで回りましたので、刀やら鎧やらがたくさん展示してありましたが、じっくり見れませんでした。残念。
福山城の築城は水野勝成
さて、福山城は現地案内板によれば、1620年(元和6年)より水野勝成によって建てられたお城です。水野勝成といえば、愛知県刈谷市の刈谷城(亀城)と関係があるようです。
この写真は、2013年12月に訪れた愛知県刈谷市の亀城公園の看板です。城を復原する計画があって、はやく実現してほしいなあと思った看板です。その看板にかわいいキャラクターが登場しています。「かつなりくん」です。
この「かつなりくん」とは、だれでしょうか。
刈谷市のホームページで自己紹介をしています。
刈谷城築城480年マスコットキャラクターとして生まれたかつなりくんは、刈谷城築城480年記念事業の終了を受けて、刈谷市マスコットキャラクターとして市の魅力をPRします。
生年…天文2年(1533年)
性別…男
性格…元気で負けず嫌い
趣味…城づくり、ヤリ集め
好きなもの…まつり、スイカ、大根
言葉・口癖…たまに語尾が「~カリ」になる。
1533年生まれということですが、この年1533年は、刈谷城が水野忠政によって造られた年です。水野勝成は、永禄7年(1567年)に生まれているので、30年以上も後のことになります。どうして刈谷城のゆるキャラが「かつなりくん」なのか大変疑問なところです。
伏見櫓
話が横道にそれてしまいました。
これは、福山城の「伏見櫓」です。写真は木が邪魔をしてあまりよく判りませんが、この櫓は京都の伏見城から移築された櫓だそうです。伏見城は、豊臣秀吉や徳川家康によって建てられた城です。1619年(元和5年)に徳川家康がこの伏見城を廃城とした際に、福山城にも移築されたそうです。1954年(昭和29年)の修理の際に2階の梁に「松の丸東やぐら」の墨書が見つかり、移築が実証されたそうです。
全然関係ありませんが、伏見櫓の石垣に変な植物が生息していました。いったいなんという植物でしょうか。
筋鉄(すじがね)御門
この形の門は以前訪れた岡崎城の門と同じでした。
岡崎城大手門
江戸時代になると、特に江戸幕府の関係のお城では同じような門の形になるのでしょうか。
すぐ南にはJR福山駅
福山城の天守閣から南のほうを見た写真です。
すぐ近くに見える櫓は、伏見櫓です。その向こうに電車が見えますがJR福山駅です。福山城はJR駅のすぐ横にある史跡なので、JRで訪れたほうがよいかもしれません。
福山城天守閣
1966年(昭和41年)に再建され、5層6階地下1階別に2層3階の付櫓を持つそうです。中は博物館になっていました。見学時間が間近かになったところで急いで回りましたので、刀やら鎧やらがたくさん展示してありましたが、じっくり見れませんでした。残念。
福山城の築城は水野勝成
さて、福山城は現地案内板によれば、1620年(元和6年)より水野勝成によって建てられたお城です。水野勝成といえば、愛知県刈谷市の刈谷城(亀城)と関係があるようです。
この写真は、2013年12月に訪れた愛知県刈谷市の亀城公園の看板です。城を復原する計画があって、はやく実現してほしいなあと思った看板です。その看板にかわいいキャラクターが登場しています。「かつなりくん」です。
この「かつなりくん」とは、だれでしょうか。
刈谷市のホームページで自己紹介をしています。
刈谷城築城480年マスコットキャラクターとして生まれたかつなりくんは、刈谷城築城480年記念事業の終了を受けて、刈谷市マスコットキャラクターとして市の魅力をPRします。
生年…天文2年(1533年)
性別…男
性格…元気で負けず嫌い
趣味…城づくり、ヤリ集め
好きなもの…まつり、スイカ、大根
言葉・口癖…たまに語尾が「~カリ」になる。
1533年生まれということですが、この年1533年は、刈谷城が水野忠政によって造られた年です。水野勝成は、永禄7年(1567年)に生まれているので、30年以上も後のことになります。どうして刈谷城のゆるキャラが「かつなりくん」なのか大変疑問なところです。
伏見櫓
話が横道にそれてしまいました。
これは、福山城の「伏見櫓」です。写真は木が邪魔をしてあまりよく判りませんが、この櫓は京都の伏見城から移築された櫓だそうです。伏見城は、豊臣秀吉や徳川家康によって建てられた城です。1619年(元和5年)に徳川家康がこの伏見城を廃城とした際に、福山城にも移築されたそうです。1954年(昭和29年)の修理の際に2階の梁に「松の丸東やぐら」の墨書が見つかり、移築が実証されたそうです。
全然関係ありませんが、伏見櫓の石垣に変な植物が生息していました。いったいなんという植物でしょうか。
筋鉄(すじがね)御門
この形の門は以前訪れた岡崎城の門と同じでした。
岡崎城大手門
江戸時代になると、特に江戸幕府の関係のお城では同じような門の形になるのでしょうか。
すぐ南にはJR福山駅
福山城の天守閣から南のほうを見た写真です。
すぐ近くに見える櫓は、伏見櫓です。その向こうに電車が見えますがJR福山駅です。福山城はJR駅のすぐ横にある史跡なので、JRで訪れたほうがよいかもしれません。
城郭めぐりの3日間、たっぷり楽しんでいただけましたか?
むかしに岡山県の城郭めぐりをやっているのですが、その時はもっとスケジュールが詰まっていて、バタバタとまわっていたようです。
今回はそれに比べたらゆったりコースだったのですが、会員さんが歳を取っている分、やっぱり慌ただしいスケジュールになったのかも…?
コメントありがとうございます。
楽しい研修旅行ありがとうございました。
事前の学習会に参加していないこともあり、初めて知ったことばかりで、それであわただしく感じたのかもしれません。事前にじっくりと予習をして、見学のポイントを自分なりに定めておくとよかったと思いました。
今は、そう反省していますが、次回にはこの反省が生かされるかどうかは微妙です。生かされるようにがんばります。