愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

長久手古戦場(4) 長久手市

2014年04月21日 07時49分40秒 | 長久手市
血の池公園
 すごい名前の公園です。遺跡の一角によくこういう地名の場所がありますが、そのまま一つの公園の名前になっているのはめずらしいかなと思いました。


血の池公園は、現地の案内板によると

家康方の渡辺半蔵などの武将が、血鑓や刀剣を洗ったことからその呼び名がついたと言われています。毎年合戦の行われた頃になると、池の水が血の色に赤く染まって漂ったと言い伝えられており、名松鑓掛けの松とともに永く人々の心に語り継がれてきました。

池の水が赤くなるという話は、以前紹介した美浜町、野間大坊の血の池(源義朝の首を洗ったという池)がそうでした。もし本当だったらすごいですね。でも、現地には池はなく普通の公園があるだけでした。


渡辺半蔵とは
渡辺半蔵といえば、三河一向一揆で一揆側につき、勝鬘寺に立て籠もった武将の一人です。三河一向一揆での家康側との戦いで父渡辺高綱を殺されています。しかし一揆が収束した後に半蔵は許されて家康の家臣となっています。ここでは立派な家康側の武将として登場してきます。
 父の敵である家康の家臣になるというのは、どういう心持ちなのか現代からははかることはできません。

郷土史研究会
 ここで、史跡によくある「のぼり」に「長久手市郷土史研究会」と書いてあることに気付きました。ネットを検索しましたら、ちゃんとホームページがあり2014年4月に更新されていました。桶狭間の古戦場もそうでしたが、有名な史跡のあるところにはそういう会があるものだと思いました。

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