三の丸石垣
階段を登っていきますと、高い石垣が見えました。三の丸の石垣です。
三の丸石垣。高さは13m、野面積みで積まれています。右の方の出っ張りは、横矢掛りといって、石垣を登ってくる敵兵を横から攻撃するために設けられたでっぱりです。どの石垣にもこのような工夫があります。
三の丸の石垣。みごとな曲線です。上の方ほど傾斜がきつくなっているので、登れないです。
鉄門跡
さらに登っていきますと、鉄門跡があります。これは、「くろがねもん」と読むのかと思いましたが、本丸のほうに「黒鉄門」というのがあって、こちらも「くろがねもん」でした。鉄門は、なんと読むのか忘れてしまいました。
鉄門跡 この門の石垣には立派な石が使われていました。
鉄門の石垣 鉄門は枡形になっていました。
詰門
鉄門を通り左に折れますと、詰門があります。本丸へは右手前の石垣の前を通り、詰門の右側から入ります。このまま詰門に行っても本丸へは行けません。
三の丸
三の丸は、雨で水溜りがありました。ここから天守閣がよく見えました。
三の丸からの天守
詰門の中
詰門の内部には部屋がありました。写真には「中老溜間」と書かれています。まさに家臣たちが詰めていたところだったのです。
階段を登っていきますと、高い石垣が見えました。三の丸の石垣です。
三の丸石垣。高さは13m、野面積みで積まれています。右の方の出っ張りは、横矢掛りといって、石垣を登ってくる敵兵を横から攻撃するために設けられたでっぱりです。どの石垣にもこのような工夫があります。
三の丸の石垣。みごとな曲線です。上の方ほど傾斜がきつくなっているので、登れないです。
鉄門跡
さらに登っていきますと、鉄門跡があります。これは、「くろがねもん」と読むのかと思いましたが、本丸のほうに「黒鉄門」というのがあって、こちらも「くろがねもん」でした。鉄門は、なんと読むのか忘れてしまいました。
鉄門跡 この門の石垣には立派な石が使われていました。
鉄門の石垣 鉄門は枡形になっていました。
詰門
鉄門を通り左に折れますと、詰門があります。本丸へは右手前の石垣の前を通り、詰門の右側から入ります。このまま詰門に行っても本丸へは行けません。
三の丸
三の丸は、雨で水溜りがありました。ここから天守閣がよく見えました。
三の丸からの天守
詰門の中
詰門の内部には部屋がありました。写真には「中老溜間」と書かれています。まさに家臣たちが詰めていたところだったのです。
城郭の遺構には分かりづらいものが多くて困りますね。
鉄門、黒鉄門などは前者がてつもん、後者はくろがねもん。
高知城の鉄門は、二ノ丸と三ノ丸の間にあって、重要な門だから、鉄の筋金が柱材などに打ってあったので、そう呼ぶようです。
黒鉄門は、隣りに黒門があって、さらにこの本丸天守の搦手の門として、黒鉄門があったようです。
黒板張り、さらに柱や扉に筋金がやはり打ってあります。
むかしの呼称は難しい。でも、その由来が分かると、また興味もひとしおですね。
コメントありがとうございます。
愛知県豊橋市の吉田城跡に鉄櫓というのがあって、それを「くろがねやぐら」と読ませていました。また、他の城でも鉄を「くろがね」と読ませるところがあって、「あれっ、てつかな、くろがねかな、どっちだっけ」と思ってしまったわけです。
勉強になりました。ありがとうございました。