愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

佐和山城見学会(龍譚寺) 滋賀県

2013年03月18日 19時19分52秒 | 滋賀県
 2013年3月17日、佐和山城に行きました。
 「若越城の会」という城の研究をしている団体の見学会に入れていただき、一緒に見学をしました。

 佐和山城は、石田三成の城として有名です。
 築城は、鎌倉時代、近江守護職佐々木定綱の六男佐保時綱といわれています。その後、室町時代に六角氏の家臣小川祐忠、戦国時代には、浅井氏の支城となり、元亀年間には磯野員昌と織田信長が8ヶ月に及ぶ激戦を繰り広げたそうです。元亀2年には磯野氏は敗れ、織田氏家臣の丹羽長秀が入城しています。豊臣秀吉の時代には、堀秀政、堀尾吉晴をへて石田三成へと城主が変遷します。

 石田三成は、「冶部少(じぶのしょう=三成のこと)に過ぎたるもの二つあり。島の左近と佐和山の城」といわれるほどの改修を行っています。

 1600年(慶長5年)に関が原の戦いがあり、敗れた石田方は、佐和山城で徳川方と激しい戦いを行いましたが、9月16日落城し、石田一族は、戦死あるいは自害しました。(三成は伊吹山から姉川、高時川のほうに逃げていた。)

 石田氏滅亡後、徳川四天王の一人井伊直政が入城しましたが、新たに彦根城を建築し、その築城のために佐和山城の石垣などを使ったため、城址にはほとんど城の跡が残っていないそうです。

 見学会では、はじめに龍譚寺の見学をしました。入り口です。

 龍譚寺は、臨済宗妙心寺派の禅寺です。元は浜名湖の方にあって、井伊氏の菩提寺だったそうです。しかし、関が原の合戦の後、井伊氏が滋賀県のほうに来たために一緒に移動して来たのだそうです。
 立派な山門がありました。

 このお寺では、「ふだらくの庭」が有名です。「ふだらく」とは、観音菩薩の浄土で「補陀落山」と書きます。その補陀落山の一帯をあらわしているのが「ふだらくの庭」です。お寺でもらったパンフレットに、この庭の意味が書いてありました。奥の方から、生垣は雲、その手前の杉垣は水平線、中央の一番高い石は観音様の立ち姿、白砂は大海、大海の中に観音様の石の右側にある石は、平安時代に中国にわたり観音様を補陀落山に安置した僧慧萼(えがく)が渡った船だそうです。なお、この庭には、大小48の石が使われているそうです。

 もう一つの庭園は、書院東庭「鶴亀蓬莱庭園」です。これは枯山水ではなく水が入っていました。右側に直下型の枯れ滝があって、これは素晴らしかったです。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あの日は黄砂がひどかった・・・ (城歩きマン)
2013-05-13 08:35:01
佐和山城の見学会は天気もよくて、それこそさわやかな登城でしたが、黄砂と花粉がとんで遠くの景色はまったく霞んで、見晴らしは今一でした。
でも、彦根城の前身であった佐和山城に登れて、とてもいい思い出になりました。
お疲れ様でした。
返信する

コメントを投稿