愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

観音寺城(2) 滋賀県東近江市

2014年03月22日 09時05分59秒 | 滋賀県
伝三国丸
 観音寺城で一番高い地点と思われる伝三国丸に着きました、ここは、三国が見えるところということで、三国丸と付けられたようです。

伝三国丸の石垣

矢穴
 このあたりの石垣に「矢穴」がありました。

石垣の下が半月状に欠けていました。

観音正寺(かんのんしょうじ)
 観音寺城の名前の由来となった観音正寺(かんのんしょうじ)でお昼を食べました。観音正寺の仁王様は、青空の下にありました。だいたいは、山門の建物があり、その中に立っているのですが、ここのお寺は、青空の下に立っていました。

観音正寺の仁王様(ん形)


(あ形)

伝本丸跡
 昼食の後は、いよいよ本丸です。本丸に行くときに立派な石段がありました。この石段の脇には側溝があったようです。

石段の跡

本丸跡の掲示

食い違い虎口
 本丸は、西側の虎口が、「食い違い虎口」と呼ばれる工夫がありました。敵の侵入を防ぐための工夫です。

食い違い虎口

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2 コメント

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Unknown (城歩きマン)
2014-03-25 07:21:53
midorishakoさん、ごめんなさい。

一緒に見学していて、ちゃんと説明するのを忘れていました。
「矢穴」は戦いのときのものではなく、石垣を積むときに岩石をいくつかに割って使うために、石の「目」にそってくさびを打ち込むためできた穴のことです。

この「矢穴」があるかないかで、割石を使って石垣を積んだどうか、つまり、加工した石を使っているかどうかが分かる証拠になります。

観音寺城にはこの「矢穴」があるので、山石(角礫)を使うだけでなく、人工的に割石を使っていたことが判明します。
そして、この「矢穴」の石がどこの石垣にあるか、で築城の歴史も分かってきます。
みんなが「矢穴」に注目している所以です。
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ありがとうございました。 (midorishako)
2014-03-26 10:59:48
なるほど
てっきり、戦いのときに矢が当たった跡だと思い込んでいました。勉強になりました。
昔の人の石の割り方が分かり、築城の様子が少し見えてきた感じです。
ありがとうございました。
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