この三日市場城の最大の見どころについて笹本氏が語ってくれたことを紹介します。
それは、図の曲輪Ⅰと曲輪Ⅳについてです。
曲輪Ⅰと曲輪Ⅳの間には大きな堀切があります。さらに曲輪Ⅳには、曲輪Ⅰから守るように土塁があります。なぜ、曲輪Ⅳは曲輪Ⅰを意識しているのか、同じ城であるはずなのに。
さらに、これは私も思っていたことですが、曲輪には建物があったのか、ということです。兵や馬を集合させるための平地ならばわかりますが、例えば曲輪Ⅰに沢渡氏の館があったとして、なぜ礎石がないのか、土に柱を立てるだけとしても、なぜ穴が見つからないのか、不思議です。
山城はおもしろいなあと、笹本氏の話を聞いて大変興味を持ちました。
それは、図の曲輪Ⅰと曲輪Ⅳについてです。
曲輪Ⅰと曲輪Ⅳの間には大きな堀切があります。さらに曲輪Ⅳには、曲輪Ⅰから守るように土塁があります。なぜ、曲輪Ⅳは曲輪Ⅰを意識しているのか、同じ城であるはずなのに。
さらに、これは私も思っていたことですが、曲輪には建物があったのか、ということです。兵や馬を集合させるための平地ならばわかりますが、例えば曲輪Ⅰに沢渡氏の館があったとして、なぜ礎石がないのか、土に柱を立てるだけとしても、なぜ穴が見つからないのか、不思議です。
山城はおもしろいなあと、笹本氏の話を聞いて大変興味を持ちました。
いつもコメントありがとうございます。
私は、今まで文化財の保護には関わってきませんでした。どちらかといえば、守られてきた文化財、史跡を子どもたちに伝える、歴史を身近に感じてもらうために利用させてもらっていました。そして、今皆さんのおかげで遺されている文化財、史跡を自分の目で見て回ることを趣味にすることができています。
これからは、自分が見るだけではなく、子どもや教育に関係している方々に文化財、史跡を少しでも知ってもらうことも考えて生きたいと考えています。特に、愛知の史跡について、今の生活とどんな関わりがあるのか、考えられるように自分がまず勉強しなければと思いました。
朝早く起きての強行軍、無事帰宅できたでしょうか?
あってはならない文化財の故意の破壊、確信犯の仕業ではなかった、ということがかえって事態を重くさせています。
ブログに持ったように、村ぐるみで守っていかねば遺跡や埋蔵文化財等は、すぐに破壊されてしまい、取り返しがつかないものになってしまいます。
歴史や文化財のことを学ぶものには、必ず付いて回る使命、みたいなものですね。
久しぶりに文化財保護の原点に立ち戻れた一日でした。