愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

加茂一揆(3) 九久平

2017年09月19日 05時06分16秒 | 加茂一揆
割木騒動の舞台は九久平です。

九久平の地図(Googleマップより作成)
Googleマップを検索していると、発見が2つありました。
一つは「港橋東」という交差点です。当然この交差点の橋の名は港橋ということになります。つまりここに港があったという名残だと思います。

実際、橋がありました。写真の右側が九久平で左側が岩倉・平古です。

港橋

近くの松平交流館に寄って資料を探していますと、ご年配の職員の方が親切に「このパンフレットを持っていくといいよ」と教えてくれました。

パンフレット「松平のむかし話と言い伝え」

このパンフレットによると、「巴川水運の川港の近くに架けられたので、港橋と呼ばれるようになりました。」と明記してありました。
なお、この橋は明治3年に架けられ、明治8年に洪水で流されました。洪水のたびに流されるので、「流橋」(橋の横板が針金やロープでつないであり、洪水で流されると拾い集めて、また橋にした)になっていました。昭和7年に死者が出る事故があり、新しい橋の建設が始まりました。財政難で難儀したそうですが、昭和10年に鉄筋の橋になったそうです。そして平成9年、現在の橋にリニューアルしました。

二つ目は、「(資)鍋嘉商店」というお店です。割木騒動で騒動の対象となった問屋の一つが「鍋屋嘉兵衛」という材木問屋です。ほかの資料でも九久平の代表的な材木問屋として鍋屋嘉兵衛の名が載っています。「鍋嘉」とは「鍋屋嘉兵衛」の短縮形ではないだろうか。このお店はもしかしたら鍋屋嘉兵衛のお店ではないだろうかと思いました。
実際その看板がありました。

「鍋嘉商店」

しかも近くに材木置き場があり、まさに「材木問屋」のようでした。しかし、お話を聞こうにも人影がありませんでしたので、ちょっと離れたところにあったお菓子屋さんを訪ねました。「志満屋(しまや)」というおしゃれな和菓子屋さんです。

お菓子屋「志満屋」(Googleストリートビューより)

「この近くに鍋嘉商店というのがありますけど、昔は材木問屋だったのでしょうか。」
お菓子屋さんの若いおかみさんに聞きました。しかし、分からないということでした。ご主人さんにも出ていただきましたが、分からないということでした。ただ、「加茂一揆」については、娘さんの小学校で学芸会の演目になっていたとか、子どもたちが裏山にある辰蔵さんの墓を見学に来ているなどのお話をしていただけました。
「志満屋」はとても感じの良いお店でした。

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