おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

サウスポー

2006年04月07日 | 日記・エッセイ・コラム
「左手」を使う事によって、新たな発見がある。

僕は純粋な「右利き」な人間だけど、積極的に「左手」も
使うようにしている。箸は勿論、自分の手帳に書き込む時は、
左手を使う。

結構昔から左利きに憧れていたけど、
今みたいに使うようになったのは「右脳」を鍛える為に始めた。
いざ、左手を使い始めると、いろんな事に気が付く。

よく左利きの人が、
「右利きように作ってあるから、すべてにおいて不便」
と言われる。確かに、ハサミも使いづらいし、自販機一つとっても、
「右利き」用だなと思う。
しかし、それ以上にいろんな発見がある。

日曜の昼にひとりで炒飯を作る。フライパンで炒めている時に、
「そうだ、左手を使おう!」
と、おたまを左手に持つ。しかしこれはすぐに止めてしまう。
何故か?
それは「熱」に耐えきれないからだ。
炒飯をかき混ぜるのに、いつもは右手を使う。
確かにフライパンからの熱を感じるが、
「我慢出来ない」程ではない。
しかしこれが左手だと、ただただ「熱い」のである。

以前テレビで面白い事を検証していた。
「おばちゃんは誰でも素手で土鍋のフタをあけるのか!」って。
実際やってみると、おっさん連中は熱がって、布巾みたいな
モノを使って開けるのだが、おばちゃんはそのまま持ってあける。
タレントもやってみるが、熱くて蓋を持つ事も出来ない。

これは長年の「主婦業」の鍛練があってこその離れ業である。

これといっしょで、知らず知らずの内に「利き腕」は色んな経験を
積んでいる。成長している。
特に「熱」に関しては、利き腕はそうでない
腕とはかなりの実力差が付いている。

熱の他にも発見はある。それは利き腕を使っている時の
「居所の悪さ」だ。
誰でも一度くらいは「利き腕」ではない方で箸を持った事があるかも
知れない。其の時、(僕で言えば右手)は、どうなっているだろうか?

ほとんどの人が、手をまっすぐ下に伸ばしているはずだ。
人間の行動はすべて「無意識」だ。
「次は左足。あっ前方に障害物があるから、その次の左足は歩幅を大きく!」
なんて考え乍ら歩く事はない。それだと歩くだけで疲れてしまう。
それと同じで、飯を食う時に、利き腕でない腕が何をしているかなんて
普段は考えない。
だからいざ、左手を使うと、右手はどうすればいいのかって迷う。

たまには利き腕じゃない方の「手」の事も考えてやって欲しい。