おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

無視されるよりは削除!

2018年10月10日 | 日記
Facebookを使うようになって
7、8年ぐらいは経ったと思うが、
最初の頃は友達が増えなくて
7人ぐらいの時には

「神7」

と、AKB48にあやかって
その友達を大切にしたものだが、
ある時から、友達の友達は友達だ!と
芋づる式に増えだして、
今では300人を超える友達の輪

当初「神」とつけた友達は
今でも「すべての友達は神様です!」と
その思いは変わっていない

変わってはいないが、
それは僕の気持ちであって、
僕に向けられた気持ちではない

300人を超えると、
すべての人の更新を目にする訳でもなく
すべての人が更新している訳ではないので、
すでにFacebookのアカウントを消していたり、
時には友達を整理したのか、
僕との絆が切れていることもある

それは個人の勝手なんで、
その理由を詮索して、追いかけて恫喝することは
ないが、
時には凹む事もある

2年前、ある人物が我が町にやってきた

当初はお互いウィンウィンの関係で
旅行な仲を保っていたが時間が経つと、
貸主と借主の間で、優しく言えば

「ボタンの掛け違え」

があり、
ありのまま言えば、ちょっとした問題に発展した

最終的には契約解除になったのだが、
それまでの過程で、メッセンジャー的な
役割をしていた僕は、両方の真ん中に立ち、
これ以上複雑怪奇な話にならないように、
双方の言い分を翻訳して、
波風立たないように、自分なりに

「防波堤」

となるよう努めてきたつもりだった

しかし

昨日、その人の名前が
友達のコメント欄にあるのを見つけ

『元気にしてらっしゃるかしら?』

と覗いてみると、更新されている

「あれ?見落としてた?」

最近更新がないなぁ〜と思ってたんで、
もしや?と確認してみると、
僕は友達から外された模様

共通の友達の中には、
会議で契約解除への舵取りに
強硬な姿勢を貫いていた人もいる

『彼が残って、僕が切られる?』

釈然としない気持ちが湧き上がってきたが、
それは僕が中立的な立場とは言え、
実際に関わっていた事の証明となる

強硬派は誰もが会う事も拒否していた

だから友達としての存在そのものが
無かったのだ

そう思うと、好かれるのも嫌われるのも、
存在そのものは認めてもらってるということに
気づき、少し気持ちが楽になった

友達から削除してくれてありがとう





コメント
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