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自由にすればいいんです

2022年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム
よく例えられる「コップの水」の話

半分の水が入ったコップを見て
「もう半分しかない」と思うのか、
「まだ半分残っている」と感じるのかは、
物事を積極的に見られるのか?と言うお話

夏休みの始まる前日が一番楽しいと考えてしまう、
消極的な自分としては「もう」と考えがちだから、
あえて「まだ」と思考しようと心掛けている

物事は考え方一つだ

他人からどう見られているのかを、
必要以上に気になる人がいる

この思考は、
常に行動の起点を他人に求めているからだと思う
他人の行動を見て、自分の行動を決めているから、
反対の立場となった時、自分も見られていると
考えてしまうのだろう

でも

人は自分が思っているほど、
他人に興味はない

「人間観察が趣味なんです」

なんて人もいるが、それは
気になった人を目で追っているだけで、
眼に映る全ての人を把握しているとは言い難い

行動の起点のなっていると言っても、
それは基本となる人を予め決めていて、
その人がそうすならと、手本にしているに過ぎない

早い話、自分の考えと違う行動をする人は
最初から注視していないはずだ

何が言いたいのかと言えば、

「誰もあなたのことなんて、気にしてないですよ」

ってこと

自分がそう思うから、他人も自分のことを・・・
なんて思わなくてもいいです

何をするのも、個人の自由です