おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

PUBG

2018年10月12日 | アニメ・コミック・ゲーム
「テレビを見る事は悪いことですか?」

今なら平井堅、以前なら、
さだまさしさんにこう聞かれれば、
良し悪しを否が応でも考えてしまいますよね

テレビを見る=子どもっぽい

と、捉えている人も多くて、
中学生くらいになると
CMの話で盛り上がっていても

「俺、テレビ見ないから!」

と、大人びた自分を演出している
童貞くんが大量生産されるわけです

いつまでもヒーロー物を見てるのは
ちょっと脇に置いておいても、
ドラマやバラエティ番組を見続けるのは、
幼稚とは言わないまでも、
年齢と共に卒業して行くものだよぉ!と
誰もがテレビとの付き合い方を
変えて行くんですよね

それで居て、ゲームはいつまでもやっている

ファミコンとゲームウォッチで
卒業してしまったと言うか、
次のステップに進めなかった僕としては
PSP等の携帯ゲーム機で遊ぶ大人たちを

「いつまでゲームと戯れてるのぉ!」

なんて、趣意返しな事を言ってみたりする

そんな僕が今ハマってるゲームがある

あえて名前は伏せるが、
輸送機からパラシュート降下し、
空き家に入って武器を集めては
狙撃を繰り返すあのゲームだ

最初はスマホの画面操作に梃子摺ったものの、
やり進めると慣れて行くもので、
今では、建物の影に隠れながら
スコープで敵を探す事もできるようになった

あまりにも慎重になりすぎて
背後の敵にまったく気づかずに
キルされることもあるけれど

ゲームって楽しいね!
 
 
 
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無視されるよりは削除!

2018年10月10日 | 日記
Facebookを使うようになって
7、8年ぐらいは経ったと思うが、
最初の頃は友達が増えなくて
7人ぐらいの時には

「神7」

と、AKB48にあやかって
その友達を大切にしたものだが、
ある時から、友達の友達は友達だ!と
芋づる式に増えだして、
今では300人を超える友達の輪

当初「神」とつけた友達は
今でも「すべての友達は神様です!」と
その思いは変わっていない

変わってはいないが、
それは僕の気持ちであって、
僕に向けられた気持ちではない

300人を超えると、
すべての人の更新を目にする訳でもなく
すべての人が更新している訳ではないので、
すでにFacebookのアカウントを消していたり、
時には友達を整理したのか、
僕との絆が切れていることもある

それは個人の勝手なんで、
その理由を詮索して、追いかけて恫喝することは
ないが、
時には凹む事もある

2年前、ある人物が我が町にやってきた

当初はお互いウィンウィンの関係で
旅行な仲を保っていたが時間が経つと、
貸主と借主の間で、優しく言えば

「ボタンの掛け違え」

があり、
ありのまま言えば、ちょっとした問題に発展した

最終的には契約解除になったのだが、
それまでの過程で、メッセンジャー的な
役割をしていた僕は、両方の真ん中に立ち、
これ以上複雑怪奇な話にならないように、
双方の言い分を翻訳して、
波風立たないように、自分なりに

「防波堤」

となるよう努めてきたつもりだった

しかし

昨日、その人の名前が
友達のコメント欄にあるのを見つけ

『元気にしてらっしゃるかしら?』

と覗いてみると、更新されている

「あれ?見落としてた?」

最近更新がないなぁ〜と思ってたんで、
もしや?と確認してみると、
僕は友達から外された模様

共通の友達の中には、
会議で契約解除への舵取りに
強硬な姿勢を貫いていた人もいる

『彼が残って、僕が切られる?』

釈然としない気持ちが湧き上がってきたが、
それは僕が中立的な立場とは言え、
実際に関わっていた事の証明となる

強硬派は誰もが会う事も拒否していた

だから友達としての存在そのものが
無かったのだ

そう思うと、好かれるのも嫌われるのも、
存在そのものは認めてもらってるということに
気づき、少し気持ちが楽になった

友達から削除してくれてありがとう





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感謝のことば

2018年10月04日 | 日記
親しき中にも礼儀あり!とは
ちょっと違うかも知れないが、
感謝の気持ちを言葉として言う時、
その相手が家族となると、
ちょっと恥ずかしさも感じるのではないだろうか
 
お袋が脳梗塞で倒れて以来、
家事の大半は僕がするようになっていたが、
5年前に結婚してからは、
嫁さんにそのほとんどを甘えるようになった
 
でも、数年前から彼女が
パートとアルバイトを掛け持ちするように
なってからは、
自分の出来る事はしよう!と
一応は心掛けるようにしているつもりだった
 
主に食事の後の「食器洗い」は
家にいる限りは、なるべくしようと思って、
実践しているつもりでいた
 
最初のうちは
 
「あら?洗ってくれるの!ありがとう」
 
と、何もしなかった僕に
驚きながらも、気持ちを伝えてくれた
 
そして
 
最近でも僕が食器を洗い終わると

「ありがとう!」

と言ってくれる

僕たち夫婦は共働きだ

家計として嫁さんにお金を渡しているので、
やりくりの中での買い物は任せているが、
その他は、分担するというか、
出来る事は手の空いている方がすべきなんじゃ?って
思いも強まってきて、
最近では、食器洗いの他にも
気がつけば動こうと心掛けている

その気持ちに気付くのが遅くなって
嫁さんには、結婚以来、
負担を多く掛けてしまったことを謝りたいし、
今後も今の気持ちを持ち続けたいと
固く思っている

それもこれも、いつも感謝の気持ちを
言葉にして伝えてくれるからだ

「ありがとう!」

と言い合える仲で居たいし、
そんな関係が心地良い


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気にしないことが一番です

2018年10月03日 | 日記
人間は考える葦である

この言葉、耳にする事はあっても
その意味を知る人は意外と少ないと思う

かくいう私も、その意味を知らない

知らないが、ここで調べてまで
書き残す事はせずに、
みなさんへ丸投げしますが、
今日の本題はそれではない

人は常に何かを考えながら生きている

大なり小なり、
一日中なにも考えずに生きている人は
世界中を探してもマイノリティーな存在だろう

3歳児には3歳児なりの思いがあって
90歳には90歳の悩み事もある

唐突にアイデアが閃く事があれば、
朝ご飯を食べる前から夕飯に思いを馳せる
こともあるだろう

そして1日に思考する数は
人によって違うものだと思う

仕事の事で頭がいっぱいの人は
昼飯のメニューに思いが及ばないかも知れないし、
食道楽の人は、昼飯を食べるために
仕事を早く終わらせる手段を選んでるかも知れない

人によって、思考の数も深さも違うから、
僕が覚えていても、向こうも同じように
覚えているとは限らない

する事が多すぎたり、
思考の整理が出来ない、しづらい時には
往々にして、記憶違いは起きる

得てして、行動的な人は
いろんな約束事を覚えていない事が多い

自分の思い込みが先行して、
周りの言葉を聞かない人も多いような気がする

でもそれも仕方のない事

人は常に何かを考えながら生きているし、
記憶は上書きされる事が多いから、
共有できる情報は、意外と少ないと思う
 
ちなみに断っておくが、
僕がいろんな事を覚えているのは、
決して1日の思考が少ない訳ではない

念のために



 
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