おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

正真正銘の白湯でした

2022年11月10日 | 食・レシピ
コンビニに「白湯」が売っていた

思えば、自販機で初めてお茶を見かけた時には、
かなりの衝撃を受けた

お茶は家で沸かして飲むもの

そういう固定概念以前の、想像すらしてない世の中で、
お茶をお金を出して買うとは!
いや、まぁ、家で沸かすお茶だって無料では無いけど、
それでも、その衝撃は当時凄かった

そして時代は進み、ペットボトル全盛期を迎えた今、
飲み物は全てコンビニで調達できる

お水だって、コーヒーだって、ジュースだって

冷やしてあったり温めてあったりと、
至れり尽くせりで準備してある

そんな中の「白湯」

これは、若い頃見かけたお茶以上の衝撃だった

だって「お湯」ですよ

水を温めただけの「お湯」ですよ

しかも、カップ麺には使えないお湯ですよ

それをお金を出して買う時代が来るとは

もちろん、速攻で買いました

自由にすればいいんです

2022年11月02日 | 日記・エッセイ・コラム
よく例えられる「コップの水」の話

半分の水が入ったコップを見て
「もう半分しかない」と思うのか、
「まだ半分残っている」と感じるのかは、
物事を積極的に見られるのか?と言うお話

夏休みの始まる前日が一番楽しいと考えてしまう、
消極的な自分としては「もう」と考えがちだから、
あえて「まだ」と思考しようと心掛けている

物事は考え方一つだ

他人からどう見られているのかを、
必要以上に気になる人がいる

この思考は、
常に行動の起点を他人に求めているからだと思う
他人の行動を見て、自分の行動を決めているから、
反対の立場となった時、自分も見られていると
考えてしまうのだろう

でも

人は自分が思っているほど、
他人に興味はない

「人間観察が趣味なんです」

なんて人もいるが、それは
気になった人を目で追っているだけで、
眼に映る全ての人を把握しているとは言い難い

行動の起点のなっていると言っても、
それは基本となる人を予め決めていて、
その人がそうすならと、手本にしているに過ぎない

早い話、自分の考えと違う行動をする人は
最初から注視していないはずだ

何が言いたいのかと言えば、

「誰もあなたのことなんて、気にしてないですよ」

ってこと

自分がそう思うから、他人も自分のことを・・・
なんて思わなくてもいいです

何をするのも、個人の自由です