ひな祭りのルーツを辿ると、紙雛である。奈良県の吉野では、女性が集って紙雛を作った。紙の人形に豆の頭をつけ、色とりどりの紙を着物として、人形に着せると可愛いお雛さまの出来上がり。出来上がったお雛さまは、飾ったりはしない。家族に痛いところがあれば、お雛さまの部分を撫でる。腰が痛ければお雛さまの腰を、足が痛ければ足をなで、祭りが済めばお雛さまを川に流す。そうして、人々の悩みや禍を水に流して、癒そうとしたのである。
これは形代といわれる厄除けの日本古来の慣わしだ。月山の頂上に月山神社があるが、そこで神主のお祓いを受けたことがある。入り口で紙で作った人の形をした形代を貰い、池の水に流す。それから神主の祝詞を聞き、払子を頭上に振って厄を払ってもらう。ひな祭りのルーツは、神道のお祓いにこそある。3月3日は中国の由来の節句だが、この古い習慣は日本の古い信仰が混ぜ合わさって現代に続いている。春は生きとし生けるものが芽吹く季節である。人々は、禍も同じように芽を出すと信じてきた。
豪華な雛人形を飾るようになったのは江戸時代からである。日本海航路で京文化が運ばれてきて、古い京雛が山形にも残されている。これを所有できたのは、紅花や米などこの地方の特産品で財をなした富裕な人だけであった。昭和の初めまで、月遅れの4月2日、女の子たちがうち揃って雛飾りのある親方衆の家を訪ねた。「お雛さまをおがみにきました」と戸口で言うと、家では子供たちを座敷に上げて、雛を見せ、用意していたお菓子をふるまう。この地方では、こんな風にして子どもたちを育んできた。
古雛の貌若くあはれなり 水田晴嵐