常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

閏年

2016年02月29日 | 日記


早いもので、今年も今日で2月が終わる。今年は閏年で4年に1度、1日多い2月29日がある。この間、楽天イーグルスの梨田監督に初孫が生まれ、29日に生まれなくてよかった、とコメントした。理由は12年経っても3歳にしかならないと、笑いを誘った。1年は正確に言えば、365.2422日である。4年に1度、366日にしたのは、ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)である。暗殺された日「ブルータス、おまえもか」と吐いた言葉は、今も歴史に残るが、この暦はその名をとって「ユリウス暦」と呼ばれる。

ところが、端数の.2422を4倍しても.9688でまる1日というわけにはいかない。そこで、閏年は400年に100回ではなく、97回にしたのが、ローマ法王グレゴリオである。1582年に定められた暦は、グレゴリオ暦とされ、日本では明治31年にこの暦が採用された。閏は門がまえに王だが、普段の年は廟のなかで眠り、閏年に門のなかに出てくるという意味らしい。

ところで近代オリンピックが復活して、アテネで第1回大会が開かれたのは、1896年である。この年は閏年であったので、4年に1回開催されるオリンピックは、かならず閏年にあたることになる。マラソン競技は、オリンピックの種目にはなかったが、かって古代ローマの「マラソンの戦い」での勝利の知らせを、伝令する兵士にマラソンからアテネまでの約40キロを走らせた。走り終わって兵士は勝利を知らせると、その場に倒れて絶命した。この故事を記念した競技をとの声が高まり、マラソンがオリンピックの種目に加えられた。

ギリシャで選手となったのは水の運搬人であるS・ロウエス。自国の選手に栄冠を取らせたいと考えたギリシャ人が沢山いた。金持ちのアベロフ、多額の賞金と自分の娘を結婚させると約束した。床屋と仕立屋は、一生無料で散髪し、好みの洋服を贈る。菓子工場の経営者は、1000キログラムのチョコレートなどなど、マラソンはおおいに盛り上がりを見せた。このニンジン作戦が成功したのか、ギリシャのロウエスが勝利を飾った。彼は既婚者であったので、金持ちの娘と結婚することはなかったが、一生のあいだ食うに困らない賞金と賞品を手にした。
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サボテンの花

2016年02月28日 | 日記


車に乗ってラジオを聞いていたら、フォークソングの「サボテンの花」が聞こえてきた。我が家には、サボテンの鉢が5つほどあるが、冬の間サッシ戸と障子の隙間に置いてある。ちょうど温室のような具合になっているので、サボテンにとっていい環境なのかもしれない。障子が締め切ってあるので、サボテンのことを忘れていた。ラジオで「サボテンの花」を聞いたので、見てみるときれいな花が咲いていた。

財津和夫の歌う「サボテンの花」はいい歌だが、悲しい失恋の歌だ。アパートの一室で愛を育んでいた若い二人の失恋の歌だ。その曲の端々に昭和の香りが漂っている。

ほんの小さな出来事に愛は傷ついて
君は部屋を飛び出した真冬の空の下に
編みかけていた手袋と洗いかけの洗濯物
シャボンの泡がゆれていた君の香りがゆれた

思い出のつまってこの部屋を僕も出てゆこう
ドアにかぎをおろした時なぜか涙がこぼれた
君が育てたサボテンは小さな花をつくった
春はもうすぐそこまで恋は今終った

この曲はテレビドラマの「ひとつ屋根の下」の主題歌だったが、この曲を作詞したチューリップの財津和夫の体験が詩になっている。昭和の恋には、若者の悲しさが詰まっている。
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雛祭り

2016年02月27日 | 日記


3月3日が近づいて、あちこちで雛人形見られる季節になった。山形は日本海の海運で、京文化とのつながりが深く、旧家では京雛を所蔵している家も多い。近江商人の系統や、銀行など代々続く家に古い雛が残っている。雛段に五色の菱形の餅のほか甘酒、手製の菓子、フキノトウなどを供えた。昭和の初めまで、雛段をもっている家は旦那衆の家しかない。そこで子供たちは、晴れ着を着せられて、雛段のある家を訪れた。

子どもたちが「お雛さまおがみにきました」というと、雛段のある座敷に子どもたちを上げ、甘酒や菓子をふるまった。雛人形は古くなると、路の辻にある祠のわきに出す風習がある。雛には霊が宿ると信じられていた。また古雛を桟俵に乗せ、川の流す風習もあった。子どもたちは白酒の銚子を持ち、雛との別れを惜しんで泣いた。柳田国男は、雛の川流しを神送りが目的であったと指摘している。

藁で作った人馬の腹に、苞に食物を入れて野山に捨てた。藁人形を神の形代として山へ送りだすことで、集落の守り神にするという風習は古くから行われていた。我が家にあった雛人形は、もう10年以上も前に、大晦日のどんと焼きで、神送りした。
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2016年02月26日 | 漢詩


最近、年のせいか涙もろくなったような気がする。テレビでドラマの感動シーンで急に涙が込み上げてきたり、スポーツ番組でも応援している選手が活躍したときもそうである。若いころはそんなことはなかったように思うが、感動には差がないのに何故か涙が出てくる。

コボで小説を読むようになって、不思議に涙が出る機会が多くなった。朝井かまて『恋歌』、小川糸『食堂かたつむり』、『つるかめ助産院』、葉室麟『蜩ノ記』、三浦しおん『木暮荘物語』など、コボの液晶画面を見入って涙ぐむと、きまって妻にからかわれる。そんな感動シーンのあまりない『ビブリア古書堂の事件手帳』を読んでいても、涙が出てくるのは我ながら恥ずかしいような気がする。

唐の詩人陳子昂に「幽州の台に登る歌」がある。詩人は彼の地の高台に独り登り、愴然と涙を流している自分を詩に詠んでいる。

前に古人を見ず

後に来者を見ず

天地の悠々たるを念ひ

独り愴然として涕下る

悠久の大地で、独りいる自分を思い、どっと涙があふれる。愴という字には悲しいと意味を含んでいるが、悲しくて涙が流れたのではあるまい。悠久な地に対して、あまりにも小さな存在に過ぎない自分。それはかけがえのない自分でもある。そんな自分の存在に気付いたとき、詩人の目にはわけもなく涙が下ったのである。ドラマや小説を読んで流す涙とは、あまりにも質の違う涙である。
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人生の短さ

2016年02月25日 | 日記


朝、新聞がくると先ず目を通すのは、死亡お知らせの欄である。もしかして知っている人の記事が載っていないか、つい気になる。誕生日が近づいてきて、いよいよ名前で物議をかもした後期高齢者の仲間入りになる。75年というのは、ずいぶん長いようではあるが、過ぎて見ると何故か短く感じる。

年年歳歳 花 相似たり
歳歳年年 人 同じからず

白頭を悲しむ翁の心境が、日一日と明瞭に見えるようになる。ローマ帝国では、貴族の宴会で最初に人間の頭蓋骨を回して見せた。いずれ人間は、こうなりますよ。さあ、生きているうちに精一杯楽しみなさい、という意味が込められていたらしい。宴会の参加者たちは、テーブルに山のように盛られた山海の珍味と美酒を心いくまで味わった。

唐の詩人李白が書いた文がある。この言葉を芭蕉は、『おくのほそ道』の冒頭に引用している。
「それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢の若し、歓を為すは幾何ぞ。古人の燭を秉りて夜遊ぶは、良に以有るなり。」逆旅というのは旅館で、そこを旅するのは時間である。ローマの貴人も李白も、人生を短いものと感じて、楽しむことに気をくだいた。問題は人生の楽しみの中身である。人それぞれにたくさんの楽しみがあるが、山海の珍味をたらふく食べることでもなければ、世界中の知らない土地を、旅して歩き回ることだけであるまい。本当の楽しみは、心のなかに感じられるよろこびである。長い人生という旅でやっと見つけることのできるものである。
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