常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

五月尽

2017年05月31日 | 日記


いよいよ今日で5月も終わる。光陰矢の如し、新年を迎えてからもう5ヶ月が経つ。4月はやや寒い春であったが、この週は30℃越えの夏日が3日もある。いよいよ、入梅も視野に入ってきた。7月から9月にかけて、もう行けなくなるかも知れない山行や北海道のクラス会を、予定表に書き入れ、全部実行する決意を新たにした。思い残すことのない夏。それが、五月が終わる日に、考えたことである。

街ゆきて独活なつかしむ五月尽 加藤 楸邨

山行計画には、北アルプスの白馬三山(2泊3日)、朝日連峰以東岳(2泊3日)、北海道は定山渓ホテルでのクラス会と3人だけになった兄弟の顔合わせ。これだけの計画なので、今から足を鍛え直すことから始める。
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薄暮

2017年05月30日 | 日記


めっきり日が長くなった。日が沈んでも、まだ花壇のバラが十分に見える。散歩道でこんな花に出会うと、心楽しい。堀口大学の詩が脳裏に浮かぶ。

夕暮れの時はよいとき

かぎりなくよさしいひと時。

それは季節にかかはらぬ、

冬ならば暖炉のかたはら、

夏ならば大樹の木かげ

地平線の向こうに陽が沈んでも明るいのは、頭上の空に陽があたって拡散するせいらしい。自分の子どものころは、その薄暮の時間を惜しんで遊んだ。夕飯の支度に忙しい家のなかでは、なかなか戻ってこない子どもたちを呼ぶ声が聞こえていた。庶民の生活には、この時間を夜とは言えず、薄暮、英語ではトワイライトである。ただ、現代生活では、この時間帯に交通事故が起きる、という無粋な統計もあるらしい。
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2017年05月29日 | 日記


尾花沢の親戚の持ち山にワラビ採りに誘われ行ってきた。ここはつい20年ほど前まで、養蚕の餌にする桑畑であった。長く放置されていたが、桑を除き、整地するとみごとな蕗の畑になったという。その後にワラビが出てきた。山なども伐採したあとに、先ず出てくるのはワラビだ。これに限って方言のようなものはなく、全国どこでも通用する。(らしいと書くべきか。調査したわけではないので)万葉の時代から、日本の山野に自生し、食用にされてきた。ものの本によると、延喜式の文書にワラビを塩蔵したことが記されているという。

石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になるにけるかも 万葉集巻8・1418 志貴皇子

志貴皇子は天智天皇の子であり、天武天皇の系統が幅をきかす時代に、不遇の生涯を送った。歌は天武天皇の子である長皇子が奈良に佐紀宮を造営した祝の宴会で奉じられた、喜びとお祝い表わすものである。蕨は早春のものように詠まれているが、こちらでは初夏のものである。

久しぶりに妻と遠出して、尾花沢の山中に入る。山は一面タニウツギの花盛りであった。この花が咲くころには、ワラビが最盛期を迎えると言われる。収穫したワラビは、延喜式のように塩漬けにして、そのあと日に晒して乾燥させる。こうして昔も、今もこの時期にしか採れない貴重な食糧を、次の年の収穫期まで食べ続ける。

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新緑、白鷹山

2017年05月27日 | 登山


雨上がりの白鷹山に登った。雨に洗われた新緑は、目に沁みるのはもちろんだが、緑に力強さが加わっている。草木の生命の息吹が、その色を通して伝わってくる。その下を歩いて心地よいのは、その生命力を皮膚に受け取るからであろう。白鷹山は標高994mに過ぎず里山と思われがちだが、北東に開けた4㌔に及ぶ爆裂火口を持つれっきとした火山である。火口底の凹部にできたのが、大沼、荒沼などの湖沼群を持っている。県民の森として、水辺で親しまれてきた由縁でもある。



嶽原登山口から山頂を目指し、帰路は大平口に降りるコースを取った。入山して間もなく杉の美林が見えてくる。これは大正13年に、昭和天皇のご成婚を祈念して植林されたものだが、伐採の時期を迎えても切らずに、記念林として残されたことが看板に書かれていた。心配された雨も上がり、木立の上には青空ものぞいてくる。本日の参加者は10名、内女性4名。山頂まで1時間と少しというコースの気軽さもあって、野鳥の鳴き声に癒され、伸び始めた山菜の探索に余念がない。



山頂の神社に祀られているのは虚空蔵菩薩である。周辺の村落からは養蚕の神様として信仰を集めてきた。また米沢城の鬼門にあたるため、城の守り本尊として上杉鷹山公の信任も篤かったと伝えられている。虚空蔵尊は、宇宙のように広い知恵と慈悲持った菩薩として崇められているが、生まれ年によってこの菩薩を守り本尊とする信仰が広くある。何人もの人から自分の守り本尊は虚空蔵さんだから、年に一度お詣りに白鷹山に登るという話も聞いたことがある。因みに白鷹山は虚空蔵山と呼ばれることもある。

頂上から雨量計まで。日当たりのよい台地状になっている。ここからは、参加者の希望もあって山菜取りタイム。雪解けを待っていたようにワラビやウドが出始めている。西のスキー場へと続く斜面ではハンググライダーを楽しむ一団が。折からの西風を受けて、帆に風を孕んで勢いよく飛び出していく。近くで見ると、風に乗るとグライダーは思いのほかスピードがある。一度はまれば、どんどん引き込まれそうな興味深い競技だ。



山登りのもう一つの楽しみは木の観察にある。所々にヤシオツツジの花を見ながら歩いていたが、ウワミズザクラの気品のある花に出会った。あのピンクのミネザクラとは全く異なった花をつけるが、バラ科のサクラの仲間である。カメラを近づけてよく見ると、房状の花の一つ一つは、桜の花びらのように見える。材は粘質で強く木工や彫刻に使われる。古代の亀甲占いで溝を彫ったことに名前の由来があるとものの本には見える。

降りのコースはブナの林である。所々にブナの古木が、枝を大きく広げて、まるでここは自分の場所であることを宣言しているような姿が見られる。木々の世界にも過酷な生存競争がある。木は環境さえよければ何千年と生き続ける。木が死んでいくのは、生存競争に敗れた結果である。ブナの古木のように自己主張を続けるならば、競争に負けることはない。だが、相手は木だけではない。斜面の木が強風や落雷で裂けたり、根こそぎ倒されているのも見かける。地球はあらゆる生命の運命共同体である。


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閑古鳥

2017年05月25日 | 日記


畑仕事をしていると郭公の鳴き声がしきりに聞こえてくる。初夏にならないとこの声が聞こえないが、変化のない単調なものだが、なぜか懐かしい気持ちにさせられる。北海道に住んでいたころ、あたりが深緑に覆われるころ、この鳴き声を聞きながら学校への道を歩いたことが、ふと頭に浮かぶ。この鳥は、オオヨシキリの巣に托卵して、こどもを育てさせるという人間には考えられないような習性を持っているが、鳴き声は実にのんびりしている。

雲垂れて郭公これにひゞかへり 水原秋桜子

昨夜来、野菜たちにとってはうれしい雨になった。土はずっしりと雨を含んで、野菜が生き返ったように元気になった。手無しインゲン、普段草の種を蒔き、キュウリやトマトの支柱を立てる。畑に蒔いたズッキーニはそろって芽だしを終えた。
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