常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

立春

2025年02月03日 | 漢詩
気温の低い立春になった。それでも冬の青空は深く蒼い。娘が帰省して二晩泊まっていった。久しぶりに寒鱈の粗汁を親子で味わう。懐かしい味である。
立春の声を聞くと、昨日までとさして変わりない景色、空の色に春を感じ、心も明るくなる。高浜年尾の句も懐かしい。「春立つやそぞろ心の火桶抱く」

晩唐の詩人、羅隠の詩「人日立春」を鑑賞してみる。人日とは、旧暦の1月7日。この日が立春にあたったので詠まれた。

一二三四五六七
万木芽を生ずるは是れ今日
遠天の帰雁 雲を払って飛び
近水の遊漁 氷を迸って出づ

初句の一から七は珍しい並び。新年のなって数えて今日七日。立春の今日から万木の芽が生まれる。空には雁が、北へ帰って行く。小川では魚たちが、薄い氷を破って跳ねる。春のよみがえる生命の躍動の歌いあげた。こちらでは、今夜から寒波の襲来で大雪の警報となった。こんな日に春の歌を読んで、元気をもらうのはよいことだ。
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菊花

2021年10月17日 | 漢詩

夕ぐれの散歩で菊の花を撮った。あまり使わないフラッシュを焚いて、ヒナギクの白い花を愛でることができた。漢詩の世界では、菊は秋の詠題として好まれる。白居易に『菊花』がある。その後半に

寒に耐うるは東籬の菊のみありて
金粟の花は開いて暁更に清し

と霜が下りて、花や植物の枯れていく季節に、咲く菊の花への賛辞を惜しまない。東籬の菊を詠んだのは、陶淵明が隠居した地でのことはよく知られている。白居易が44歳で左遷されて江洲に流された処こそ、淵明が住んだ地であった。菊は雑草の繁る荒地にあっても、勢いのない雑草を圧するように、過ぎていく秋に咲き誇る。

卒業式に歌われるのは「蛍の光り」だが、蛍雪の功の中国の故事が歌のもとになっている。東晋の車胤は油が買えずランプがないので、蛍のわずかな灯りで、また孫康は窓の雪あかりで書物を読んだという伝説がある。北宋の魏野という詩人は、この蛍雪の向こうを張って「白菊」をたよりに書を読んだ隠者である。

濃霧繁霜着けども無きに似
幾多の庭除を照らす
何ぞ須いん更に蛍と雪を待つを
便ち好し叢辺夜書を読まん

しかし、暮れていく白菊を見た限りでは、ここで書を開くのは難しいような気がした。詩人が言わんとするのは、白菊の夕べの輝きは蛍や、窓べの雪に劣るものではないことを強調したのであろう。
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陶淵明 再読

2021年10月07日 | 漢詩
今朝、朝露に咲く菊の花が美しかった。新しいスマホの写真がありがたい。この花は食用菊のモッテノホカ。健康のために酒に浮かべて飲むキクではなく、茹でてお浸しにする。陶淵明の詩、『飲酒』を再読してみる。

余間居して歓び寡なく、兼ねて此頃夜已に長し。偶たま名酒あり。夕べとして飲まざる無し。影をか顧みて独り尽くし、忽焉として復た酔う。既に酔うの後、すなわち数句を題して自ら娯しむ。紙墨遂に多く、辞に詮次無し。いささか故人に命じて之を書せしめ、以って歓笑と為すのみ。(「飲酒・序」)

秋の夜長、淵明の楽しみは、酒に酔い、その上で詩を書くことであった。詩には順序や脈絡さえない。書家に詩を清書してもらい、お笑い草にした。そんな「飲酒」の連作20首。詩作の時期は陶淵明が宮仕えを止めて田園の居に帰った40歳ころ(AD404年)か、その12年後52歳とする2説がある。そのうちの一番有名な1首を読んでみる。

廬を結んで人境に有り、
而も車馬の喧しき無し
君に問う何ぞ能く爾かと、
心遠く地自から偏なり。
菊を採る東籬の下、
悠然として南山を見る。
山気 日夕に佳し、
飛鳥相與に還る。
此の中に真意有り、
弁ぜんと欲してすでに言を忘る。

以下、吉川幸次郎の解釈を掲げる。「その草庵は、過度に辺鄙なところにあったのではない。むしろにぎやかなところにあった。しかも訪問の車馬のわずらわしさはない。このにぎやかなところにいながら、どうしてこうひっそりと暮らせるのかと、そうある人が自分に問う。自分は答える、それはこころの持ち方次第。主人の心が悠遠であれば、土地も自然にへんぴになるまでさ。草庵の東のかきねあるのは、菊。するとふと目に入るのは、廬山の山容。その美しい山容は、夕方の空気の中に、いっそう美しくかすみ、鳥たちが楽しげに帰ってゆく。此の平和な美しい風景のなかにこそ、真意、宇宙の真実は把握される。もはやそれを言葉にすることはできない。」

東の籬で菊を採ったのは、その花びらを忘憂のもの、つまり盃の酒に浮かべて飲むためだ。52歳にして淵明は人生のかかる境地に達していた。悠然として立つ廬山は、淵明がいるべき場所であり、そこを目がけて帰っていく鳥は、淵明の姿の象徴でもあろう。
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夕焼け

2021年06月08日 | 漢詩
部屋から見える西の空、夕焼けがきれいに見えることが多くなった。唱歌に秋の空の夕日が歌われてもいて、秋の澄んだ空が夕日に染まるのがぴったりくるのかも知れないが、ここのところの夕焼けも目を見張るものがある。晩唐の詩人に李商隠がいるが、この人の夕陽の詩は忘れ難い。

晚に何んなんとして意適わず
車を駆りて古原に登る
夕陽無限に好し
只是れ黄昏に近し

古原は長安の東にある行楽地の楽遊のことだ。日が暮れていくと、人は何か物思いを抱く。離れた土地にいる恋人を思うのかも知れない。そんな心を晴らそうと馬車を駆るのはあの楽遊原である。そこから見る夕陽のすばらしさ。日はたちまち落ちて夕闇がやってくるのはわかっていてもその素晴らしさに見とれてしまう。

詩人は馬車に乗って郊外の高台に向かうが、自分の場合はカーテンを開いた先に夕日が見える。詩人の目の先には広大な土地が広がり、夕陽の景色も我が家のものとはスケールが違うであろう。李商隠は獺祭魚という号を用いたことがある。カワウソが獲った魚を食べるとき、岸に魚をならべて祭る習性がある。詩人は詩を創るとき、多くの書物を机に並べて参照するのでそれを号にしたと思われる。李商隠の詩は、歴史を詠んだものが多く典故を駆使するため、資料としての書物が必要であったのであろう。
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陶淵明

2021年01月13日 | 漢詩
朝、ベランダから南を望むと、大平山が朝日を受けてその穏やかな全貌を見せていた。数日、小雪がちらついて山の姿を隠していたので、こんな朝の光景を見ると心が落ち着く。麓には春の霞に見える薄い霧がたちこめている。ふと頭をよぎるのは、陶淵明の詩の言葉である。

歳開けてたちまち五日
吾が生行くゆく帰休せんとす
之を念えば中懐を動がし
辰に及んでこの游を為す

帰休は終焉を意味し、中懐は心の内。陶淵明にとって、この游とは、景色のよい場所に、友人と座し、酒を酌み交わすことである。今朝のこの時間を逃すことなく楽しめ、明日をあてにしてはならない。

春の花や緑の美しさを待っていることはできない。雪のなかに静かに眠る木々たちのかすかな呼吸。そのなかにも、生を歓びとすることが可能である。朝日を受ける木々たちもまた、明日を待たずにこの瞬間を楽しむことを促されているような気がする。
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