蜻蛉つりけふはどこまで行ったやら 千代女
この句に初めて出会ったのは、中学生ぐらいの少年のころであったように思う。千代女も知らず、句の意味も、遊び盛りのやんちゃ坊主が飛び出して行った先からいつまでも帰ってこない、困ったものだぐらいに解釈していた。ところが、この句に千代女の悲しい人生の悲哀が込められていた。
加賀の千代は、加賀国松任の人である。金沢市の隣に位置する海沿いの町である。ここで表具師の娘に生まれるが、利発で幼いころから俳句に親しんだ。15歳のころこの地を行脚していた俳諧師支考にその才能を認められて一躍名を馳せることになった。18歳の時、金沢の人と結婚したが、わずか2年ほどで死に別れをする。一粒だねの男の子を育てていたが、この子も小さいうちに亡くしてしまう。そして30歳にして剃髪して尼となった。
冒頭の句は、遊び盛りだった男の子が亡くなってもう帰らないのを知りながらこんな風に詠んだものだ。その亡くなった子への、母のやさしい追慕の気持ちがこの句に込められている。
起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな 千代女
この句は、嫁いだ夫が亡くなったときに詠んだものと言われている。夫と子と3人川の字になって寝ていた蚊帳であったが、夫が亡くなって改めてその広さに気がつく。蚊帳の広さは、千代女の心の隙間でもあり、埋めることのできないものである。
尼になったときには、次のような句を詠んでいる。
髪を結ふ手の隙あいて炬燵かな 千代女
おのが人生の宿命を、さりげなく句に詠み込んでいった千代女。こうすることで、とかくすると暗くなってしまう心に明るさを取り戻した。尼になっても句作を続け、74歳の人生を全うした。「容貌美にして言語少なく、常に閑寂を好む」と伝にある。詩吟では俳句も吟じられるが、千代女の次の句を吟じる人が多い。
朝顔に鶴瓶とられて貰ひ水 千代女