大晦日の夜は寝ないで新しい年を待つ。このことをかって守歳と言った。新しい年を迎えるには戸外に雪があった方が、ふさわしく感じられる。今年はもう数時間しか残されていないが、このまま雪のない新年になりそうだ。数日前に雪景色の、ブログの絵を準備していたが、現実離れしたアイキャッチになってしまった。雪はなくても、近くの寺では除夜の鐘が聞える筈だ。川端康成の小説で、京都の祇園で知恩院の除夜の鐘を聞く話が出てくる。主人公が上がった料亭は、知恩院にほど近く、障子を開けると鐘を打つ僧の姿が見えるほど近さであった。
「知恩院の鐘が鳴った。「あっ」と一同は静まった。あまりに古寂びて、ちょっと破れ鐘のようであったが、そのひびきの尾は深くただよっていった。まをおいて鳴った。間近で撞かれているらしい。」
除夜の鐘は、テレビの「行く年くる年」で、各地のお寺の鐘の音が放映されていた。鐘の音を紹介するアナウンスの声は低く、聞く者を厳粛な気持ちにさせた。もう何年も、この中継を見なくなっている。わが家で細々と続いているのは、「年越しそば」と元日の雑煮。この日だけは、朝、燗をした酒を飲む。年が改まるといっても、もう特別なことはない。