2日目 槍沢ロッジから槍ヶ岳 8月27日
4時起床。昨夜は、思わぬ疲労に深い眠りで
あった。5時朝食。昨夜の夕食も、今朝の朝
食も、山小屋の食事はおいしい。天候は昨日
に続いて晴天。この空を見て、槍の登頂の成
功を確信した。
槍沢ロッジから槍ヶ岳までの歩行は、約6㌔
昨日歩いた半分にもみたない。しかし、標高
で見るとロッジ1800m、槍頂上が3180mで
その差は約1400mということになる。昨日
の300ⅿに比べれば実に5倍近くになる。つ
まり、今日が本格的な登山になる。旧ロッジ
跡のばば平は、テンバになっている。ここに
テントを張って、槍を目指すことが多い。昨
日の足の疲れも取れ、急な登りだが足取りも
軽く登っていく。右手には赤沢山が見え、そ
こから下る赤沢には、石の押出しが見られる。
落石注意の標識のところでは、上からの落石
がないことを確認して、素早く通過するよう
にと、リーダーの注意がある。登山道脇の梓
川は次第に奔流となって流れる。大曲、水俣
乗越への分岐を過ぎたあたりから、槍ヶ岳に
連なる中岳、大喰山の山並みが見えてくる。
大曲を過ぎると、樹木の背丈は低くなり、森
林限界が顕著になる。さらに進むと樹々の姿
はなく石やらの道になる。大きな石に1550
の表示、これは槍ヶ岳までの距離を示すもの
だ。この地点で尖った槍の穂先が見えた。登
山仲間の歓声があがる。先行する登山者の行
列が道のありかを示している。行列は槍の穂
先よりも右の方へ進んでいる。その先には、
今夜泊まる槍岳山荘が見えてくる。岩陰の草
地には、草紅葉の兆候があらわれ、山は秋の
気配だ。一歩づつ高度を上げるにしたがって
槍ヶ岳は大きく見え、チームの高揚感も高ま
って行く。やがて、石を重ねたような播隆窟
を過ぎる。越中の念仏僧、播隆がこの岩屋を
根城にして籠り、念仏修行をしながら槍登頂
をねらった。文政11年(1828)7月28日、
播隆は阿弥陀如来、観世音菩薩、文殊菩薩の
菩薩の三尊を背負って、槍ヶ岳の登頂を果た
し、頂上に三尊を安置した。これが、槍ヶ岳
を最初に登ったことになっている。
標高2800mを過ぎると、槍ヶ岳は大きく見え
その存在感をクローズアップさせる。空気が薄
くなるため、高山病の恐れも、言われたがメン
バーにはその兆候を示すものは一人もいない。
ただ、長時間の立位のせいか、手の甲にむくみ
が見られる。何よりも、もう少しで頂上を踏め
るという期待感がメンバーを支配する。槍の穂
先には、頂上へと歩を進める姿が豆粒のように
見えている。すでに山荘への道は、疲れた身体
を思いやってか、ジクザクに切ってある。ここ
では、休みを入れる人も多く、同じ顔を抜きつ
抜かれつして登っていく。あとひとがんばりで
山荘に到着だ。
1時38分、槍岳山荘に着く。足へも身体へも
ダメージは昨日より少ない。午前中に、我々
を抜いていった母子がいた。若い母と小学4年
の少年だ。山荘に着いて、この親子の姿があっ
た。聞けば、もう槍の穂先に登ってきたと言う。
「私の任務は終わりました」と言いながら、疲
れた表情も見せずに静かにコーヒーを飲んでい
る。思えば、この山には多様な人が登っている。
女性の一人旅も多い。一人で登ってきた高校生
が道を不安がっていたが、帰りは中年の女性グ
ループの最後尾を歩いていた。女性の単独行も
以外に多い。日本人に案内されている外国の登
山者も目につく。人に迷惑をかけるような登山
者は見当たらない。好天に恵まれた登山を楽し
んでいる人ばかりだ。小走りに歩く、若い登山
者。月曜日だというのに、これほどの人がこ
の山に魅せられて登っている。
槍の穂先を登る。下を見ると恐怖で足が
すくむと言われて来たが、岩の安定感が
あってそれほど恐怖感を感じない。途中
の小さな平場で、反対側の風景を撮る。
この山行では、写真を撮る機会が少ない。
というより、歩きが大変で撮る余裕がな
いと言った方が正確だ。頂上にたってそ
こから見えるパノラマの景色を撮ったが
カメラの設定がバックのなかで動いたの
か、ほとんど写っていない。しかし、好
天で撮れている写真は満足のいくものだ。
下山して小屋に入り、登頂を祝って全員
生ビールで乾杯。明日一日で20㌔を歩く
鋭気を養った。