常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ねまる

2014年07月31日 | 日記


尾花沢に行ってきた。高速道にある道の駅の名が「ねまる」である。この地方の農産物や土産物を売る店だ。妻がなぜ店に、こんな名をつけたのかしら、と不思議がる。これは奥のほそ道の旅で、芭蕉が詠んだ句を取り入れたのさ、とうんちくを傾ける。

涼しさを我宿にしてねまるなり 芭蕉

「ねまる」というのは、ひらたく言えば寝ることさ。あら、それ座るという意味があるのではないかしら。妻はこちらの説を受け入れようとはしない。やがて、尾花沢に親戚の家に着いた。玄関の戸を開けて案内を乞う。すると目の前の玄関マットの上で、気持ちよさそうに眠る三毛猫がいた。この家の愛猫である。蒸し暑い日、三毛君は家中で一番快適な場所を探して寝入っていた。これこそ、「ねまる」では。

帰宅して、「奥のほそ道」の原文にあたってみた。「ねまる」はくつろいで坐ること、ねまり芋(つくね芋)、ねまり相撲(坐り相撲)、ねまり餅(ぼた餅)などと遣い東北の方言であると、解説している。みごとに、古くからここに住んでいる妻に軍配が上がった。

だが、写真を見て欲しい。この猫のようにくつろいで寝るのが、「ねまる」の本義ではないか。悔しまぎれに、ここちよさそうな猫の姿に「ねまる」を重ねて見るのであった。


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散歩道の花たち

2014年07月31日 | 日記


花を見ながら散歩するのは楽しいが、降りそそぐ太陽の光に熱中症になるのではと心配である。カメラを持って歩くのは、いい被写体がないかを探すのが主目的になっている。そのためにどんなコースを辿ってきたのかを、すっかり失念して驚くことがある。先日の鳥海山でも、下りの道で思わずこんなところを歩いたのかと驚くとともに、こんなに記憶が抜けてしまうのは認知症のはじまりでは、と心配になる。アメリカ芙蓉である。その大ぶりの花が、いやでも目を惹きつける。



春に咲き終わった藤棚に、季節はずれの藤がひとつだけ花を咲かせていた。狂い咲きである。隣の房と競うように咲くのではなく、どこか淋しげにひとつだけ咲いている。しかしよく見ると、自らの存在を誇示するような、自己主張も感じられる。こんな季節に咲けるのは、俺様しかないんだ、どうだ。そんな花の声が聞こえるような気がする。



ムクゲ。木の全体を覆いつくすよう咲く。沖縄のブーゲンビリアの仲間だが、こちらにはその華やかさはないが、控え目な奥ゆかしさがある。散歩道の花は、住宅の花壇で咲くのも多く断りもなく撮影することが多い。ときおりその家の人が花壇に水遣りをしているに出会うこともある。家の人に面識はないが、きれいな花を見せてもらっていることに感謝をこめて黙礼をする。



秋にさきがけてコスモスが一輪花を開いた。この花はやはり秋が似合う。この花をテーマにした合唱曲があるようだが、私の世代では何と言ってもさだまさしが作り、山口百恵が歌った「秋桜」が懐かしい。秋の運動会のころ、秋風に吹かれて揺れるコスモスは長く記憶のなかにある。面白山高原のコスモス畑を見に行ったのも遠い昔日のことである。



白い花の夾竹桃。この花はかっては山形には咲かない花であった。転勤で水戸へ行って初めて見た花である。どのの家の庭先にも背の高い夾竹桃がピンクの花をつけて誇らしげに咲いていた。10年ほど前から、夾竹桃の花を山形でも見かけるようになった。温暖化の影響であろうか、福島が南限と言われたイノシシが山形近郊に姿を現すようにもなってきた。年々、自然の姿もうつろっていく。



車ユリのあざやかな花がひときわ目をひく。そういえば先日鳥海山から帰路、道端に山ユリがたくさん咲いていた。我が家のベランダにあるユリはとっくに花を終えたが、この時期がユリの咲く季節のようだ。鳥海山の八丁坂でも小さな車ユリが咲いていた。写真に収めたがピリカンでいい色がでなかった。風雨のためほとんど写真を撮れなかったことが悔やまれる。チョウカイフスマ、ミヤマキキョウ、フデリンドウなどの可憐な姿を記憶のファイルに残しておこう。



ニラの花。畑で栽培しているニラは、花が咲く前にニラ穂として食べてしまうのでなかなか花を目にしないが、散歩道にはみごとなニラの花が咲いている。たくさんの株があると
花畑のようにみごとに咲く。蜜を吸いに蜂が花を巡って飛んでいる。こんな風景も都会では見られないのどかな風景である。




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蜻蛉

2014年07月29日 | 日記


野菜畑や庭に蜻蛉が見られる季節である。俳句の季語事典を見ると蜻蛉は秋の季語だが、梅雨があける頃には姿を見せる。図鑑を見ると、一口に蜻蛉と言ってもたくさんの種類がある。カメラに収まったものは、ノシメトンボの雌であるらしい。腹部にある黒斑が熨斗目模様になっているから、こう呼ばれるようだ。羽の丸い紋が特徴である。全国いたるところに生息し、個体数の一番多い種類との解説があった。

いつみても蜻蛉ひとつ竹の先 正岡 子規

赤とんぼ、塩辛とんぼ、鬼やんま、八丁とんぼ。どれも懐かしい蜻蛉である。蜻蛉は雌雄で色模様が違う。そのため雌雄で別々の名を持つものもある。黄色い背中をしたムギワラトンボは雌、あさぎ色の背中のシオカラトンボは雄である。トウモロコシの畑の上を群れて飛ぶ蜻蛉を追いかけて遊んだのは、遠い少年の日々である。つい遊びに時間を忘れ家の帰る時間が遅くなって姉から叱られたのもその頃の思い出である。

蜻蛉釣まじりて一人家恋し 富安 風生



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空蝉

2014年07月28日 | 源氏物語


蝉が地上に這い上がり、殻から脱皮して成虫になる季節である。庭のあちこちに抜け殻が見られるが、うまく飛べない蝉が仰向けになってもがいている姿を見かける。そんな時、そっと手にして植木の枝に置く。しばらく足を動かしながら、思い出したように飛び立っていく。空蝉は蝉の抜け殻を言うのだが、現し身がうつせみに転化し、空蝉の文字が与えられたものである。広辞苑を引くと、「現人(うつせみ)に空蝉の字を当てた結果平安時代以降できた語。蝉の抜け殻。」とある。

「現人(うつせみ)」には、この世に現在する人間。また、この世、世間の人の意味もある。蝉が脱皮することで、この世に生を現すので、うつせみにはより深い意味が与えられているように思える。この世に生を受けている人間は仮の姿で、やがて抜け殻を置いて、本当の生を彼岸で受けるという考えも生じる。

源氏物語の「空蝉」の帖では、若き光源氏が寝所に忍んでくるのを察した空蝉が着用していた薄着を脱ぎ捨てて、単衣ひとつを身にまとって逃げ出す場面がクライマックスである。空蝉を追うのを諦めた源氏は、残った軒端荻と契りを結ぶのだが、逃げられた空蝉への思いはさらに深まる。源氏はその様を、蝉の抜け殻に擬した和歌を畳紙の端に書き付けた。

空蝉の身を更へてける木のもとになほ人柄のなつかしきかな 光源氏

「身を更へては」脱皮して姿を変えることをさす。蝉の抜け殻の「殻」と人柄の「柄」は掛詞になっている。

空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな 空蝉

この和歌は透きとおる羽に置く露、すなわち涙がテーマになっている。「濡るる」「袖」も縁語。また源氏の「木のもと」に対しては「木隠れて」と返している。空蝉はこの和歌を源氏の畳紙の脇に書き付けた。源氏の愛を拒否した空蝉ではあるが、歌のやりとりは、問答歌の形式を踏まえている。わが身が人妻でなかったならば、という余情の響きが未練を語る。だが、源氏物語ではこの問答歌を最後にして、その後の展開は語られない。

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鳥海山

2014年07月28日 | 登山


鳥海山は山形県の最高峰2236m、深田久弥の『日本百名山』にも加えられている。この山は過去4回登頂し、今回で5度目になる。写真は河原宿に着いた8時ころのものだが、青空の中に残雪が美しい。ただあざみ坂から上の方は雲に隠れている。この時点で、午後からの天候の急変は知る由もない。深田久弥の文を借りて、この山を紹介する。
「標高は東北の最高とは言え、わが国の中部へ持ってくると、決してその高さを誇るわけにゆかぬ。しかしその高さは海ぎわから盛り上がっている。山の裾は海に没している。つまりわれわれはその足元から直ちに2240mメートルを仰ぐのあるから、これは信州の日本アルプスを仰ぐのに劣らない。

ここのして浪の上なるみちのくの鳥海山はさやけき山ぞ 斉藤 茂吉」



右前方に白糸の滝を望みながら、最初の雪渓を登る。雪渓上には多くの登山者の姿が見える。そういえば湯の台口の駐車場は車が溢れその下の道路の方なで車の列ができていた。夏休みで、ぐづついた天候もここ数日晴の傾向になったので登山者が集中したのかも知れない。雪渓上に太陽が降りそそぎ、白馬岳の雪渓を思い起こさせる。登山書のなかに、小学生の姿を時おり見かける。なかには、まだ就学前の女の子を背負い登る若い夫婦の姿もあった。聞けば仙台からやってきたという。本日の参加者男性2人、女性2名のベテラン4名パーテイである。



雪渓を過ぎて河原宿に至る八丁坂は大小の石を連ねた登山道だが、周囲には季節の高山植物が咲き、見晴らしのきく場所からは酒田の海、左手に月山の雄姿が望まれる。車ユリが咲き、キンポウゲの黄色い花も可憐である。道路の脇に一叢のウスユキ草が床しげに咲いていた。思わずカメラを取り出して撮影する。後で一緒に下山した岡山から来た登山者は、高山植物の撮影を目的に登っているということであった。登山も写真もというのはなかなか両立が難しい。本当にいい写真のためには、小屋に泊まりこんで十分な準備のうえでシャッターチャンスを待てねばならない。



外輪の近くでイワブクロがたくさん咲いていた。岩にしがみつくように根付いているが、北東アジアの寒冷地に広く分布するという。火山の砂礫地に一番乗りで繁殖する、旺盛な生命力を持っているらしい。このころには、青空は消え、分厚い雲の下に高山特有の強風が吹き始めた。外輪の痩せ尾根を風に煽られないように背を引くして外輪から御室小屋を目指す。山頂はあきらめ、とにかく小屋へ。風速は何mであろうか。時おり吹き付ける突風は今までに体感したこともないような強さだ。

御室小屋には50名ほどの登山者がいた。明日は今日くたコースをそのまま下山するのみだ
が天候の状況も不安である。7時就寝。時々風の音が雷のようにうなりをあげている。午前2時になった叩きつけるような雨の音が加わる。朝になった雨は小降りになったが、風は収まるどころか強度を増したようにすら感じられる。小屋の主人は、「初めて体験するような強風です。午後になってもよくなる見込みはありません。同じ方向へ下山するパーテイは合同して、励ましあい十分注意して下山してください」

この忠告で我々4名は長岡市のパーテイ10名(リーダー小浦さん)と岡山から登山者1名15人が同一行動で下山する。外輪の強風は背をかがめ、突風をやりすごしながらの歩行となった。覚悟を決めての下山であり、15名が同一行動ということもあり、難所を無事に過ぎる。一行には不思議な連帯感を生まれたような気がする。この強風のなかで、斉藤茂吉が父親に連れられて湯殿山へ15歳の初詣ことを思い出していた。

湯殿山の谷合いに来て親子は荒れた天候で風に吹かれた回想がある。
「渡るべき前方の谷は一面の氷でうづめられてそれが雨で洗われてすべすべになっている。下手の方は深い谷につづいていてひどくあぶないところである。僕は恐る恐るその上を渡って行ったが、そこへ猛風が何ともいえぬ音をさせて吹いて来た。僕は転倒しかけた。後ろから歩いて来た父は、茂吉這え。べたつと這え。鋭い声でそういったから僕は氷の上に這った。やっとのことでしがみ付いていたという方が好いのかも知れない。」

こうして降りてきて八丁坂に来ると、木の背丈が風を防いでくれるが、強い吹き付けの雨になった。下山して着替えもそこそこに入った温泉はまさに天国であった。

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