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誰もが満月が美しいと思う。しかし、日が沈むのを追うように傾く二日月の、繊細な眉のような月も、見るたびに美しいと思う。春が近づくと、蕪村が詠んだ「菜の花や月は東に日は西に」の、夕方青空に姿を見せる春の月も見逃せない。月のなかに見える陰の凹凸は、兎の餅つきと言い伝えられてきた。月の兎には、『今昔物語』に「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」に天竺に伝わる物語が見える。
三の獣とは、兎、猿、狐のことである。獣に生れながら、誠の発心をし、菩薩の道を行った。そのあり様は、我より老いたるを親のように敬い、少し長じたものを兄のように、年若いものを弟のようにいたわり、自分を捨て、他のものの事を先ず考えた。天帝釈が、この三獣の行いを見て、感心はしたが所詮は獣、その本当の心試すために、自分を翁の老い疲れた姿に変えて、その三獣の前に行った。
翁が「わしはもう年老いて、食べ物も手にいれることができない。そなたたち、わしを養ってくれぬか」といいうのを聞いて、三獣は「分かりました。私たちの本心から養います」というと、猿は木に登って、色々な木の実を採って翁に与え、狐は墓に供えた鮑やカツオなどの魚を持ってきて翁に与えたので、大いに満腹した。兎のみ、耳を立てて、食べ物を探しまわったが、自分を狙う天敵に食われことを恐れて、翁に言った。
「私はよりおいしいものを供します。薪を拾い、火を燃やしてお待ちください」と言って、物陰から翁が火を燃やすのを見守った。火が盛んになると、兎は「私には食べものを持ってくる力がありません。ただ、私の身を焼いて食べてください」と言うと、火に飛び込んでたたちまち焼け死んだ。これを見た天帝釈は、兎を元の姿に戻し、月のなかに移した。そして言うよう。「月に兎あるは、この菩薩の姿だ。よろずの人、月を見るたび、この兎の行を思い起こして欲しい」
あたら身を翁がにへとなしけりな
今のうつつに聞くがともしさ 良寛
良寛はこの兎の話を長歌に詠み、その反歌としてこのように読んでいる。意味は「惜しむべき身を翁に供える贄とした。この話を聞くだけで身に沁みることであるよ」それは兎の自己犠牲の姿を美しいものとして、心に受け止めたことであろう。月を見ながら、そのなかにこんな道心が伝わっていること世に知らしめた。