作家、眉村卓氏の妻が、突然の癌を告げられた。しかも余命は、一年と少しということであった。初めの見立ては虫垂炎ということであったが、開腹してから進行性癌が見つかった。1995年6月のことである。手術を終えた妻に、眉村はある約束をした。毎日短い話を書いて妻に読んでもらうことであった。小説家としてきちんと話を作って、妻が満足できるもの書く。400字詰めで3枚以上という条件もつけた。妻は5年以上生きた。眉村が作った話は1778話に及んだ。一日も欠かすことなく書き続けた。「しんどかったら止めたていいわよ」と妻が言ったが、眉村はこのことを辛いと思ったことはなかった。妻の意識は、次第に薄れ、自分の力で読むことができなくなっていく。枕もとで読んで聞かせ、反応を見る日が続いた。
その101話が「作りものの夏」である。初老の主人公が、友人に目が悪くなっていることを話す。友人は、「人間60代になったら、20代の半分も光を感じなくなるそうだよ」と言い、会員制の明るいドームの話をした。若いころの感じになってもらえるように、動く立体映像もとりいれてある。行ってみみて気に行ったら会員になってくれ、と勧める。
ドアの奥のトンネルを抜けたところにドームはあった。「不定形の大きなプールがあり、そこかしこにビーチパラソルやデッキチェアが置かれている。泳いだりお喋りをしている人々の中には、若い男女もいた。プールの向こうは海であった。ここは高台になっているのだ。波がきらめき、真っ白な雲が流れている。そして私を圧倒したのは、光であった。ぎらぎら輝く日光が、空間すべてに満ちているのだ。これは本当の夏だ。いや。それはかって若い頃に私が感じていた夏であった。」
眉村は、この話を同年代の妻は、わかってくれると信じて創った。だが、妻の反応はノーコメントであった。雨の降り方が、様変わりした話「降水時代」。水がどーんと落ちてくる降水、雨ではない。学校の生徒は、この降水に外に飛び出して水浴びをする。学校へは、必ず着替えを持って登校する。降水が終わって水に濡れた服を洗濯するのは妻の仕事。この話を読みながら、妻は含み笑いをしている。