残暑は厳しいが、朝夕はめっきり涼しい。開け放しにしているベランダからは冷たく、寒いほどの風が入ってくる。もう重陽の節句もすぐそこに迫っている。ラフかディオ・ハーンの『怪談』に「菊花の約」という話がある。播磨の国に義兄弟がいた。出雲の武士、赤穴宗右衛門と播磨の丈部左門である。春のある日、赤穴は故郷の出雲へ帰ることを思い立った。赤穴は「秋には帰るから」というと、丈部は「兄上、出雲はここから百里もある遠い国。帰りの日時を決めることは難しいかも知れません。しかし、その日時を約してくれるなら、帰国の宴を準備して、門に立って待ちましょう」赤穴「よいぞ、わしは旅馴れたた身、9月9日の重陽の日に帰るとしよう」
光陰矢の如し、門前で兄と涙の別れをしてから、夏が過ぎ、義兄が帰る9月9日がやってきた。丈部は朝から、このみの食べ物、よい酒を買い、客間を飾り、床の間には壺に黄と白の菊をいっぱいに挿した。その日、空は晴れ、おだやかに大気も住んで、遠くまで見通すことができた。昼前に、2,3の武士が村を通り過ぎた。赤穴に違いない、武士の姿を見たが、近づいて見ると別人であった。昼が過ぎ、夜空に星がきらめいても赤穴は帰ってこない。一緒に待っていた母が、「今夜はもう戻るまい。家で臥し、明朝又出向かえれば」と忠告しても「母上はどうぞお入りなさい。私はもう少し」となお門口に立った。
月が登り、さすがの丈部も諦めかけたころ、向うから背の高い武士が現れた。待ちに待った赤穴の姿がそこにあった。「お疲れでございましょう。食事の支度もできたおります。さあ、入って」と言うと「母は?」と聞くので「待ちくたびれて床につきました。すぐに」と言うと、「まあ待て、その前に帰りが遅くなった訳を話す。母が目覚めないような小声で赤穴は話し始めた。
「出雲では、尼子経久が城主を追い出して城を乗っ取り、権勢を振るっていた。従兄の赤穴丹治も尼子に靡き、仕える身になっていた。「そちも尼子の殿様に知己を得ていた方がいいぞ」と城主に紹介された。尼子の残忍な性格を聞き及んでいた赤穴は、従兄の前で仕えるつもりのないことを明言した。すると、その場で囚われの身となり、部屋に押し込められてしまった。9月9日には帰る約束をしているから放してくれ、いくら頼んでも聞き入れられないずついに今日に至った」「えっ、百里の道、一日ではとても帰れません」「ほれ、魂よく一日に千里を走る、というではないか。幸い、刀だけは身を離さずに持っていた。」というと、ご馳走に箸をつけずに姿を消してしまった。丈部の前に姿を見せたのは、自刃した赤穴の魂。丈部は、出雲で兄が自刃して果てたことを知ったのである。日を置かず出雲に出た丈部は、赤穴丹治の家を訪ねると、丹治の家来の面前で兄への不信を面詰して、一刀のもとに切り捨てると、手傷を負うこともなく播磨へ帰った。
ハーンの怪談には、人の霊魂の話がたくさんでてくる。たかだか、百年と少し前の日本には、こんな話が、子どもたちに語られ、あの世の不思議が話されていた。ハーンはそれらの話を集め、英語で本にして出版した。漱石が、西洋の文学を留学して勉強し、学生に講義していた時代である。