1時間に100㎜も降ると、道に水が溢れ、雨宿りなどという言葉はもうふさわしくない。大雨が夕立のイメージをなくしているが、毎日4時を過ぎると雨雲が現れ、雷が鳴り始める。そして来る夕立がこの1週間ほど続いている。夕方の買い物は、近所の業スーだが、店に入るころに降り始めた夕立が、買い物をしている間に強くなった。傘も持たずに行ったので、店先の庇のところで雨宿りをすることになった。久しぶりのことである。出てきた2,3の人も同じところで足止めになっている。日差しも見えているので5分ほどで雨足が弱まってきた。夕立が去って行った。
江戸の盛夏を詠んだつけ合いが懐かしい。
物うりの尻声高く名乗りすて 去来
雨のやどりの無常迅速 野水
往来で物うりが語尾をはねあげて呼び歩く。そこへ突然やってくるのが夕立だ。やはり物陰で雨宿りをすることになるが、たちまち夕立が去っていく。こんな出来事の早い展開を無常迅速と言ったのが面白い。人の世の移り変わりや人の死が思いがけず早くやってくるときに使う無常迅速だが、思いがけずやってくる夕立に使われてもぴったりとする。江戸の雰囲気を、今にいきいきと伝える句だ。