常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

夕立

2021年07月31日 | 日記
1時間に100㎜も降ると、道に水が溢れ、雨宿りなどという言葉はもうふさわしくない。大雨が夕立のイメージをなくしているが、毎日4時を過ぎると雨雲が現れ、雷が鳴り始める。そして来る夕立がこの1週間ほど続いている。夕方の買い物は、近所の業スーだが、店に入るころに降り始めた夕立が、買い物をしている間に強くなった。傘も持たずに行ったので、店先の庇のところで雨宿りをすることになった。久しぶりのことである。出てきた2,3の人も同じところで足止めになっている。日差しも見えているので5分ほどで雨足が弱まってきた。夕立が去って行った。

江戸の盛夏を詠んだつけ合いが懐かしい。

物うりの尻声高く名乗りすて 去来
 雨のやどりの無常迅速   野水

往来で物うりが語尾をはねあげて呼び歩く。そこへ突然やってくるのが夕立だ。やはり物陰で雨宿りをすることになるが、たちまち夕立が去っていく。こんな出来事の早い展開を無常迅速と言ったのが面白い。人の世の移り変わりや人の死が思いがけず早くやってくるときに使う無常迅速だが、思いがけずやってくる夕立に使われてもぴったりとする。江戸の雰囲気を、今にいきいきと伝える句だ。
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健診結果

2021年07月30日 | 日記

先日受けた健診の結果通知が届いた。年に一度の健診だが、胃がんと大腸がんの健診が入っているので封筒を開けるまで緊張する。加齢とともに増えてくるのはがんのリスクだ。開けて見て、異常なしの記載にホッとする。他の健診項目もほぼ、再診などの必要はなく、この一年は平常心で過ごせそうだ。

黒沢監督の映画に「生きる」という名作があった。主人公役の志村喬が自分が作った公園でブランコに乗りながら、絞り出すような声で「命短し恋せよ乙女」を口ずさむシーンは、折に触れて思い出す名場面だ。この映画の主人公は、市役所の課長だ。毎日、決済のハンコを押すだけの仕事で、定年も間もない。人生の転機は、彼がその年になって医者から、がん告知を受けることで訪れる。すでに妻はなく、可愛がって育てた息子は結婚して同居している。

彼は胃がんで余命は3ヶ月、であることを息子に話すが、息子の関心は新しく建てる家に向いていて父の窮地に意外に無頓着であった。残された月日をどう過ごすか。自殺を試みたり、酒を飲む、パチンコ、キャバレーなどいろいろやってみるが、無論救われることはない。彼の前に訪れるのは、かっての役所の部下でお茶くみをしていた女子事務員であった。彼女は下っ端の事務員には愛想をつかし、おもちゃを作る工場の女工に転職していた。手におもちゃを持って、彼女は工場の様子を生き生きと話す。「こんなもんでも、つくっていると楽しいわよ、私、これつくりだしてから日本中の赤ン坊と仲良しになった気がするのよ」

この一言が、余命いくばくもない主人公を動かす。陳情を受けていた町の小さな公園を作ること。そのために彼は、残された時間の全てを使う。もうそこには、死の怖れもないように見えた。その最後の働きぶりを、語るのは、葬儀のお通夜に来た役所の同僚たちだ。「とにかく、あの渡辺さんの、熱意が通じないなら、世の中闇ですよ」。ブランコはその小さな公園の、遊具であった。

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土用の丑

2021年07月28日 | 日記
今年の丑の日はテイクアウトの鰻、年に一度の贅沢だ。土用の暑い日に、鰻を食べて英気を養うのは、日本古来の食の伝統だ。思い浮かぶのは、江戸の平賀源内である。本草学から始まった源内の学問は金石学、オランダ学へと幅を広げ、あまつさえ戯作の道へと進み、風流山人と号して、『根南志具佐』や『風流志道軒伝』などの戯作、浄瑠璃では『心霊矢口渡』を書き上げ、これが上演されて江戸中の評判をとっていた。この人気の戯作者が鰻に、「江戸前大かば焼」と名付け、この文字を看板にして鰻屋の戸口にかかげた。江戸で鰻が知られる端緒となった。

かば焼きの匂ひに暑き涼かな 貝寿

この句は元禄の頃だが、そもそも鰻は、焼く技術が難しい。蒲焼の語源は蒲の穂である。一尾の鰻を尾から一本の串で口にかけて貫き、蒲の穂に見えるためであったらしい。腹を割いて二本の串にしたのは後のことだ。江戸前の川や海でとれる鰻をうまく焼き、それに自慢のたれをつけて供する。江戸の人たちは、ご飯を持って鰻屋に行った。鰻は素人でも釣ったりしてとることはできるが、この自分で焼いては、この味をだすことはできない。

この鰻を大衆のものとして、人気を呼んだのが「うな丼」の発明である。文化の時代の江戸に大久保今助という男がいた。芝居の小屋の持ち主で、興行のときは忙しく好きな鰻を喰う暇がない。取り寄せたのでは、焼き冷ましになって味が落ちる。そこで考えたのが、丼に熱い飯を入れて持たせてやり、その飯の上にかば焼きを乗せて帰るという方法だ。今助は、この丼一回を百文に決めた。鰻が冷めず、喰い逃しても美味しいというので評判を呼んだ。これが、芝居町で広がり、やがて下町で丼ひとつ64文の鰻屋が現れる。今日のテイクアウトは、江戸の裏だなで人気のアイテムとなった。
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台風が迫る日の夕焼け

2021年07月27日 | 日記
今夜には台風8号が、東北地方に上陸、その後日本海へと抜けるらしい。上空に水蒸気が多くあるために、夕焼けがいつもより紅くなるらしい」。きれいではあるが、何か不吉を告げる不気味さもある。朝方の雨はいつしか止み、夕方の日もさしてきた。先日の八ヶ岳の山行の帰りに、山の麓のカラマツやシラカバの木々に混じるように古くなった別荘を見た。もう住む人もいないように、うち捨てられたものも淋しげに、自然の美観を損ねるように朽ちつつあった。

本棚の隅に渡辺隆次『八ヶ岳風のスケッチ』という文庫本があった。そのなかに「カラマツ林」という一項がある。清里のカラマツ林が伐採されて、郊外の住宅地のような街へと変貌していくさまが書かれている。都会の喧騒を避け、八ヶ岳の山麓に居を移して、自然の風物を描き続けた画家の目には、縄文時代から続く人間の営みをも見つめている。
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大暑

2021年07月26日 | 日記
山を降りて身体にこたえる暑さが続く。24節季では、もう大暑に入っている。盛夏の花でる百日紅が咲き、公園で蝉の鳴き声を始めて聞いた。3日ほどこの地を離れただけなのに、季節が進んだ。台風が次々と発生し、7号が東北を横断する予報が出ている。今夜から雨になり、接近すつると200㎜の雨になるらしい。百日紅が咲くと、真夏の花でありながら、秋をも感じさせる。お盆の墓参りでは、寺の前の百日紅の大木が、大きな紅い花をまとって迎えてくれる。真夏を過ぎ、秋にも咲き続けるからであろうか。

百日紅ごくごく水を飲むばかり 石田波郷

コロナ禍のなかで開催されている東京オリンピックは、アスリートのメンタルがクローズアップされている。一年前に照準を合わせてきた、コンディションは延期のために行き場を失う。コロナの感染が猖獗を極めるなか、一年もピークを保つことは無理なはずだ。さらに過酷な鍛錬を続け、メンタルを維持した真のアスリートが大会で花を咲かせる。将棋でもコロナでステイホームを余儀なくされて、深く将棋の世界に向き合った藤井壮太が、二冠を獲りさらに三冠に向けて快進撃を続けている。自分のやっている山の会でも、山行予定の中止、小屋泊まりなどの長い歩きを見合わせた。その間、県内の山でこまめに脚を鍛えた仲間たちが、八ヶ岳の山並みを三日間歩き通した。コロナ禍がもたらした社会の損失は計り知れない。しかし、パンデミックで見えなかったものが見えてきたこともがたくさんある。コロナの先に見える一筋の光り。それはコロナ禍で価値観を変えて生まれ変わり、強くなった人々に支えられる新しい社会である。
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