家中のカレンダーを来年のものに代えた。机まわりにたまっていた不要な紙や本など片付ける。ゴミの袋に収納して、年明けにゴミステーションに出す。ベランダの硝子戸についた汚れを掃除。大掃除の真似事のようだが、身辺がすっきりした状態に年を越すのは気持ちがいい。年末に読んだ本、遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』。この作家の日常生活が見えて、実に楽しい時間になった。
丸い卓袱台を囲む藤沢の朝食はほほ笑ましい。白いご飯に豆腐や野菜のみそ汁。納豆や生卵、そして漬物。自分が食べている食事と変わらない。一番の好物は、恐ろしいくらいしょっぱい塩鮭。ハタハタ。藤沢の子ども頃からの食生活は、生涯を通じてかわらなかったようだ。塩じゃけを好む風習は、こっちではまだまだ健在だ。親戚から、スイカや野菜を貰うので、お返しを考えた。色々聞いて見ると、このしょっぱい塩鮭が好物だという。魚の売り場をあたっても、なかなか思い通りのものがない。困ったときのネット。新潟は村上の塩鮭があった。親戚の小母さんも喜んでくれたらしい。
藤沢の晩年の闘病生活が書いてある。入院は東京・新宿の国立国際医療センターだ。自分の娘が入院して世話になった同じ病院だ。藤沢周平は大学時代、山形の学生寮で暮らしていたので親しみを覚えていたが、晩年の病院が新宿の国立であったことは何かの縁のようなものを感じる。病院で藤沢は、病院食を食べる場面がある。それを見ていた娘に言った藤沢の言葉。
「こんなに具合がわるいのに、必死になってご飯を食べているお父さんの姿を見て、おまえはいじましいと思うかもしれないけれど、それは違う。ご飯がたべられなくなったら、死んでしまうからね。だから一生懸命、食べているんだよ。」
年が明けると、どんな景色を見ることができるか。高齢になってからの景色は、見るだけでなくしっかりと目に焼きつけておかなければならない。一期一会、またこの次に見ようとしても見られない年代である。