常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

武蔵野

2019年12月12日 | 介護


昨日から東京。夜行バスを利用してみた。夜の11時に山形を出て、新宿には6時に着く。新宿から中央線で武蔵境へ向かう。娘たちとここで合流する予定だ。駅前の広場に少しだけだが木々が残してある。ここは都市化が進んで、大きな街になったが武蔵野の面影を残すためであろうか。枝先には紅葉した葉も残っていた。

駅前の広場に高年のリュックを背負った男女のグループが集まっていた。電車で高尾山へ出かけるのであろうか。しっかりとした足取りで改札へ入っていった。駅前のそば屋さんで腹ごしらえをする。待ち合わせの時間まで、街のあちこちを散策してみた。武蔵野といえば国木田独歩の書いた『武蔵野』を思い出す。渋谷に住んでいた国木田が、毎日のように東京郊外、中でも東部の武蔵野台地を散策して書き上げものである。

国木田の歩いた台地は、薪炭の供給原としての雑木林であり、人の生活圏と自然が入り混じる地帯であった。今日の都市化された、このあたりの景観から当時を想像することはもはや困難であった。せめて、国木田の書き残した文章をひも解きながら、この街を歩いてみたいと思う。

「なかば黄いろくまかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が、梢々の隙間からのぞかれて日の光りは風に動く葉末葉末に砕け、その美しさはいいつくされず。日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の花火を放つというのも特異の美観ではあるまいか。」

台地一面の秋色。国木田の見た景観のスケールは、もはや想像を超えている。(続く)
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夕暮れ

2019年10月29日 | 介護
子どものころ、夕暮れは貴重な時間だった。夏の間、農家では日が暮れるまで働く。兄や姉が、小さい子と遊ぶのは、日が落ちて辺りが見えなくまでの、短い時間だった。カラスが塒に帰り、日が陰るまで、シーソーに乗ったり、相撲に興じた。つい遊び過ぎて、暗くなると、家の中から「ご飯ができているのに、いつまで遊んでるの」と叱られた。昨日、晴れた日の夕暮れ、山の端がピンク色に染まった。こんな気持ちのいい夕暮れは、今年あと何回見られるだろうか。

夕暮れの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。

それは季節にかかはらぬ、
冬ならば暖炉のかたはら、
夏ならば大樹の木かげ、
それは神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘ふ。 (堀口大學)

今日は冷たい曇り空。明日の晴天を祈りながら、温泉で身体を温める。霜降が過ぎ、日一日と冬の季節がやってくる。

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笹谷峠 動画

2018年02月21日 | 介護
20180113 29


一月に行った笹谷峠に行ったとき、たまたま撮った動画あまりにきれいだったので、ブログへの貼りこみを勉強した。どうやら成功したが、必要のない別の動画まで出てきてしまう。もっと自在に動画が扱えれば楽しくなるよう気がする。
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敬老会

2017年09月17日 | 介護


昨日、義母の入所する施設で、敬老会があった。100歳を超える長寿の人が3名、義母と同じ白寿が4名、そして卒寿の人が6名で、花束と賞状が贈られた。いずれも女性であった。義母は、このところ体調もよく、食欲旺盛だ。週に1度は顔を見に行くが、娘夫婦を見ると大よろこびをする。手を握り、さするようにして、「来てくれて、うれしいよ」と同じ言葉を何度も繰り返す。敬老会は飲食などの催しはないが、民謡会の慰問演奏があった。8名ほどの大黒さんが、舞台に上がり、元気のいい「大黒舞」が舞われる。義母は、拍子に合わせて首を振り、手を叩いて、踊りに合わせる。「うれしい、うれしい」と敬老会のイベントに大満足。施設からは、昔着た着物を着てはと、提案されたが、着付けや用便を考えて、着物で縫ったワンピースで参加させた。

それにしても9月は忙しい。義母の敬老会のほか、農園の仲間たちとの芋煮会、詩吟の講習会などなど、北海道旅行が挟まって、スケジュール管理がおぼつかない。やはり寄る年波には勝てないということか。旅行の疲れはまだすっかりとは取れていない。
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南天

2016年11月12日 | 介護


義母が住まなくなった鉄砲町の家は、庭の木も主を失って衰退に向かっている。変って主役を務めるのはつる草や雑草である。たわわに実をつけた南天も辛うじてわずかの実をつけるばかりだ。実を切って水差しに生けてみた。実はあのつややかな輝きを失い、どこかくすんだ色を呈している。飼い主を失った犬や猫と同様に、庭木も少しづつ枯れていく。

実南天曙楼は古びけり 川端 茅舎

義母の巻き爪が高じて、傷みを訴えるようになった。昨日、施設から病院に行って診察を受けた。先生の話を聞くと、歩行しなければ、症状は進まないということであった。爪は切るのでなく、伸ばしておくのが正解。切るとさらに皮膚に食い込んで痛くなる、という見立てで、黴菌などが入らないようにケアして様子を見るということになった。手術という方法もあるが、薬を中断する必要もあり、危険を侵してまで、手術を必要とする現状ではない、という診断であった。

来年3月には98歳を迎える。特老の施設でも、ケアをうけながら、孤独のうちに過ごさなければならない。娘とで静かに話すことも、だんだんできなくなってきている。

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