昨日から東京。夜行バスを利用してみた。夜の11時に山形を出て、新宿には6時に着く。新宿から中央線で武蔵境へ向かう。娘たちとここで合流する予定だ。駅前の広場に少しだけだが木々が残してある。ここは都市化が進んで、大きな街になったが武蔵野の面影を残すためであろうか。枝先には紅葉した葉も残っていた。
駅前の広場に高年のリュックを背負った男女のグループが集まっていた。電車で高尾山へ出かけるのであろうか。しっかりとした足取りで改札へ入っていった。駅前のそば屋さんで腹ごしらえをする。待ち合わせの時間まで、街のあちこちを散策してみた。武蔵野といえば国木田独歩の書いた『武蔵野』を思い出す。渋谷に住んでいた国木田が、毎日のように東京郊外、中でも東部の武蔵野台地を散策して書き上げものである。
国木田の歩いた台地は、薪炭の供給原としての雑木林であり、人の生活圏と自然が入り混じる地帯であった。今日の都市化された、このあたりの景観から当時を想像することはもはや困難であった。せめて、国木田の書き残した文章をひも解きながら、この街を歩いてみたいと思う。
「なかば黄いろくまかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が、梢々の隙間からのぞかれて日の光りは風に動く葉末葉末に砕け、その美しさはいいつくされず。日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の花火を放つというのも特異の美観ではあるまいか。」
台地一面の秋色。国木田の見た景観のスケールは、もはや想像を超えている。(続く)