常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

滝見の旅

2019年09月30日 | 登山

P9290487

森吉山の翌日は、秋田駒に登るか、秘境といわれる小又峡の滝見にするか、担当のAさんも迷われたところだ。登山とセットした滝は、自然そのものがむき出し状態で眺められる。滅多にみることのできない、滝を選択したのは、やはり正解であったと言うべきだろう。森吉ダムを建設してせき止めた渓流の水を蓄えたのが太平湖。いわゆる人造湖であるが、ここまで行くには、昨夜泊った阿仁前田の宿から県道309号線を、車で40分ほど走る。カーブの続く山道で、携帯の電波も届かない。

遊覧船の発着所に太平湖グリーンハウスがある。ここで乗船券を買って太平湖桟橋へ歩く。湖を見ながら階段状の道で、勾配も結構なものだ。周囲には手つかずの森が広がる。秋が深まると、シメジなどのキノコも出るという。

朝日に光る湖面はびっくりように美しい。昨夜降った雨も上がり、空には青空が広がっている。我がチームは、よほど天気運に恵まれている。朝一番の船に乗るが、乗客は我々5名の貸し切りである。ここから湖上の見どころを巡りながら約35分の船旅である。乗船すると、湖面に鯉や小魚が群れてくる。乗客が暮れる餌を待っているのか、大きな口を開けて集まってくる。

船の案内が湖の特徴を説明してくれる。この湖には大小13の渓流が流れ込んでいる。それを一か所のダムサイトでせき止めてできた効率のよい湖とのこと。貯めた水は、水力発電に利用される。面積195ha、水深53m、サクラマス、イワナ、鯉、ワカサギが生息し、釣り客でも賑わうらしい。

岸には柱状節理が発達し、手つかずの自然がのこっている。案内の人が指す方向に、穴がふたつあいているのが見える。熊の冬眠用の穴と説明された。周囲5㌔四方には、住む人もいない。しかし、この人造湖の湖底は平地で、50戸ほどの集落があったそうだ。藩の境にあたる場所で、藩境の警備にあたったとのことである。この山深い集落の生活はどうであっただろうか。マタギの人たちの生き方とあわせて興味深い。

小又峡桟橋で船を降りると、川沿いに1.8㌔の遊歩道が整備されている。遊歩道とはいえ、川沿いの道である。所々に切れ落ちた崖もある。ここの岩は、一枚状になっていて、渓谷は深い。柔らかい部分だけが、水流に侵食されて、滝や横穴、深渕など変化に富んだ景観を見せてくれる。水は冷たく、あくまでも澄みきっている。マップに記されているだけで、横滝、曲滝、三角滝、穴滝、化ノ滝、三階滝などの滝が次々に出てくる。最後は三階滝だが、高さ20mの迫力満点の滝で締めくくられる。冒頭の動画が、その三階滝である。

遊歩道の終点近く、両側に迫る谷に岩に陽がさえぎらてうす暗いところが続く。化ノ淵、化ノ滝、化ノ滝、化ノセキという名前が続いて出てくる。うす暗く、妖怪や化け物が出てきても不思議でないような場所だ。このようなところを一人で歩くと少し寂しいような感じを受ける。かって、このあたりに、山の獣や魚を狩りに来た人々が名付けたものと思われる。深く切れ込んだ堰は、ここだけが脆い岩盤であったのであろう。

秋田の秘境というにふさわしい。これだけを見に来るのは、なかなかできない。今回、森吉山を登って、ここを巡る幸運を得た。しかも、天候の変わりやすい季節に、2日間の好天に恵まれた。機会があれば、これかの紅葉、春の新緑のいい時期に訪れることができれば、まだまだ秋田の秘境の魅力に触れることができる。

 

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森吉山

2019年09月29日 | 登山

9月28日、秋田の北にある森吉山に登った。ここは、人里を離れ、深い原始の森のなかに眠る秘境と言える山である。阿仁といえば、マタギの里で知られる縄文の香りを今に残す山域だ。この山へは数回訪れているが、日帰り山行で、深く観察するゆとりのないものであった。

森吉山は遠い。朝、5時に山形を出発して、森吉山阿仁スキー場の山麓駅に着いたのが10時。途中、トイレ休憩を入れてはいるが、5時間を要している。国道105号線、道の駅あにから先は、またぎ街道と命名されている。秋田内陸線のあらせ駅付近から、スキー場への山道に入る。すでに道の両サイドは、深い森である。車がへアピンのようなカーブを曲がるたびに、その森の奥行きの深さを実感する。紅葉には少し早いが、ここの新緑や紅葉の美しさは、想像するだけでもすばらしいものがある。

越後湯沢に住んでいた鈴木牧之は『北越雪譜』で名高いが、この人に『秋山紀行』という文がある。雪で名高い秋山郷を取材したものだが、その中で秋田、阿仁のマタギからの聞き書きがある。秋田のマタギは、集落を作って暮らしていた。熊を狩る時期は冬である。この時は、多く背子が集まって、集団で狩りを行う。季節が過ぎて、夏になってくると、マタギたちは農耕に従事するのだが、あいにくこの地区には農耕に適した地が少ない。そこで、三々五々、移動しながら狩猟の生活を送った。秋田から遠く離れた秋山郷の山中で、仕掛けを作ってシカやイノシシの猟を行い、川でイワナをとった。塩漬けにした獣の肉と新鮮な魚を里へ持っていって金に換えて生活に資にあてたのである。

麓の駅でゴンドラに乗るが、山頂駅まで20分。一気に650mの高度をかせぐ。下に見える森吉の森は、ブナの繁る景色が広がる。どこから、熊が出てきても驚くことのない深い森だ。所々に登山道が見えているが、急な勾配をジグザグに縫うようについているため、ゴンドラで登るコースだけでも3時間はかかりそうだ。まだ、紅葉には早かったが、かってのマタギの生活を想像するには、充分すぎる光景であった。

ゴンドラを降りると、すぐに登山道に出る。ここの標高は1167m、頂上が1454m、標高差約300mだから安心の山歩きができる。天候は晴れ、風もなく、頂上付近では汗を抑えるそよ風が吹いている。大半が木を渡した階段と木道、雨が降れば滑りやすいだろうが、この日は足元にも不安はない。男女5名、山友会最高齢の男女もいたが、全員元気で足取りも軽く整備された山道を登って行く。道の脇には、咲き残ったリンドウが、たくさんあって目を楽しませてくれる。高度を上げるに従って、紅葉が少しづつ見えてくる。

週末ということもあってか、これほど奥深い山に登山者の多いのに驚く。先週の小国にでは、2名しか会わなかったが、ツーリズムの団体を含め、おそらく100名を越える人で賑わっている。全国各地から人たちで、この山の人気の高さがうかがえる。ここは花の百名山としても知られる。稚児平、山人平では初夏の訪れとともに、イワカガミ、チングルマなどが咲き競う景色は、東北の山ならでは自然の美しさに彩られる。身体が許されるなら、これから見られる紅葉と、初夏のお花畑に再訪できれば最高である。

避難小屋を過ぎると、風景がまた変わってくる。小さな池塘に水草の紅葉が見られ、澄みきった水面にはアオモリトドマツの樹が移り込んでいる。紅葉に早いからと、この季節の山行を止めるべきではない。刻々と移り変わる季節の様相がうかがえ、その新鮮な景色に驚かされる。

次第に笹の丈も低くなり、周りの山並みが見え始める。歩きはじめて1時間半、足の疲れを覚えないまま頂上に着くのは久しぶりのことである。80歳を超えて山を楽しみたい。そう願うのは、私も含めて多いと思う。そのための山選び。ここはアクセスこそ不便だが、ゴンドラを利用すれば、2時間ほどの、ゆったりした歩きで山頂の立てる。ここであれば、年老いても大丈夫だろう。鳥海山で出会った足を痛めたお婆さんは、娘に手を引かれながら一歩一歩、山道の歩きを楽しんでいた。それを実現するには、年老いてからの健康づくりも大事になる。

頑張り過ぎない、継続は丸。筋肉に引退なし、『百歳まで歩く』を書いた田中尚喜先生の言葉だ。トレーニングは一度にたくさんやるのではなく、繰り返して継続すことである。大脳が運動神経に「力を入れろ」と命令すると、神経を介して筋肉の細胞の収縮が行われる。運動神経の老化を防ぐのは、この地味な繰り返しと継続が力になる。

頂上からは360°の大パノラマ。遠く岩手山、岩木山、栗駒山に鳥海山。東北の名だたる山が一望できる。この山を指して、この山が何、あれが何、と言いたいところだが、それには経験が少なすぎる。地元の若者が登って来たので聞いてみると、あれが岩手山、鳥海山はかすかにうっすらと見えている、と答えてくれた。12時30分に頂上着。

頂上にも多くの人。思い思いの場所で、昼の弁当を開く。帰路は来た道を帰る。宿はクウィンス森吉、温泉付きの宿である。到着早々ひと風呂浴び、待ちきれずに夕食前に生ビールで乾杯。明日は、秘境小又峡へ滝見の旅。どんな風景に出会えるか楽しみである。



 


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紅葉

2019年09月27日 | 日記

朝の気温が10℃前後になって、公園のカエデが一部だが色づき始めた。昨日、山の仲間が、月山に登ってきたが、その情報では上の方では紅葉が始まっている。これからの数週間の山行は、紅葉前線との競争になる。見ごろの紅葉は、花と同じで短い命だ。本当に美しい紅葉を、この秋何度見られるか、楽しみでもあり不安でもある。北海道の山では、紅葉した木々の上に冠雪した美しい映像が、ネットに流れている。

黄葉と紅葉は何れももみぢと読むが、中国の文化を積極的に取り入れていた奈良時代は、葉が黄色になる黄葉が珍重された。当時の貴族が桜よりも梅を慕ったのと同様である。中国では黄が、皇帝が使う聖なる色で、日本でも庭の植木に黄色く色づく樹を植えるのが流行した。紅いカエデが、紅葉の主流となるのは、遣唐使が廃止された平安朝からである。唐の政情が不安定となって、日本独自の文化へと移行し日本人の感性が重んじられるようになった。時を同じくして、梅にかわって桜が日本の花として見直された。

せばまりてせばまりて濃し谿紅葉 篠田悌二郎

月山の紅葉、9月26日、E・Hさん写す。

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曼珠沙華(ひがんばな)

2019年09月26日 | 

「曼珠沙華」・常森寿子

秋彼岸が過ぎて、あちこちで曼殊沙華が見られるようになった。この花は、桜などは反対に北の国から咲き始まり、南下しながら咲いていく。関東以西では、彼岸のころに咲くので、彼岸花と呼ばれる。マンジュシャゲというのは、サンスクリット語で音をそのまま写している。仏教に関係していて、天の花という意味である。この花には、地方によって様々な呼び方がある。少し紹介すると、ユウレイバナ、シタマガリ、シビトバナ、ステゴバナ、テンガイバナ、ハミズハナミズ等々、名前からして嫌われもの、縁起でもない花のイメージがある。

シタマガリなどというのは、球根が苦く、口に入れると舌が曲がる、という意味である。しかし、江戸の学者、貝原益軒は球根には多量の澱粉が含まれているので、飢饉のときの救荒植物として植えることを奨励したという。また、今日では一面に植えた花を愛でる、花の名所として観光客を呼ぶところも多い。埼玉県布着田曼殊沙華公園、愛知県矢勝川堤、埼玉県の権現堂などだ。ここ山形県では、寒河江の慈恩寺、山形の霞城公園でも見られる。白秋の歌詞にもあるが、真紅の花は恐ろしい感じもするが、なかに白花のものもあり、こちらは清楚な感じだ。

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体組成計

2019年09月25日 | 日記

体組成計なるものを買ってきた。通常の体重測定のほかに、BMI、体脂肪率、基礎代謝、骨格筋率、内臓脂肪レベル、体年齢などを計測できる機器だ。骨格筋率は身体を動かすためのもので、これだけが運動によって増やすことができる。これが増え、結果的に基礎代謝が増えれば、エネルギーを消費しやすい体質、つまり太りにくい体質になる。

体脂肪率は、体重のうち、体脂肪の重さが占める割合のこと。エネルギーを貯蔵したり、内臓を保護したりする役目を果たしている。もちろん多すぎるのよくないが、少なすぎるのも問題だ。この推移を見ることは、健康管理に大事なことである。今まで使っていた体重計は、体脂肪を見ることができたが、今度求めた機器の方がはるかに多い項目がチェックできる。スマホと連動して、体組成を管理する機器が主流になりつつある。

今日の数字。体重63.1(衣服のまま)、体脂肪率26.7、骨格筋率30.3、基礎代謝1472、体年齢60。等々である。ここを起点にして、どのような体質に変化していくか。毎日の運動、歩く距離が大事な要素になる。

昨日、大学時代の同期会があった。この年代では、さすがに電子機器を使いこなしている人は少ない。支払いのカード決済やスマホのペイ機能を使う人も少ない。平均寿命の近づいている年代になって社会で使われている方法に目を背けていると、孤独な老人になって行く。日本では現金払いがまだまだ多いが、世界の流れはキャッシュレスである。

キャッシュレスもとより我が家マネーレス スマホで見た川柳から

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