去る1月、山形市近郊の里山に登ったときのことである。雪が大きく踏まれ、動物が騒いだような跡があった。カモシカの足跡はよく見かけるので、こんな痕跡は残さないだろう。熊はもう冬眠した筈だ。では、この跡は何だろう?イノシシじゃないか、とある人が言った。まさか、イノシシの生息北限は福島。ここにいる筈がない。ただイノシシには身体を洗うのに泥浴という習性がある。ノタウチ回るという言葉は、この泥浴を表現したものだ。雪の踏み跡がこの泥浴の跡にも見えるから、イノシシの跡と言ったかもしれない。イノシシの姿をみたわけではないので何とも言いがたい。
近年、イノシシの生息北限が、温暖化とともに北上している。宮城県北部の泉ヶ岳でも確認されているし、昨日の報道で米沢市の市街地で負傷したイノシシが捕獲された。こうして見ると、山形市の里山にイノシシがいたとしてもあながち不思議ではない。イノシシは山中にいて、地下茎などの植物を食べているが、熊と同じように近年は畑作物の味を覚え、山に近い農村部に被害が出ている。本来はおとなしい性格だが、状況で人を襲うこともしばしばである。いったん狙いを定めると直進してくるので非常に恐怖感もある。猪突猛進とはこのイノシシのこの行動から出た言葉だ。
イノシシは古くから食用にされてきた。これを家畜化したものが豚である。一度に4、5頭の子を出産するが、縞瓜に似たシマ模様の体毛が縦に生えているのでウリ坊などの愛称で呼ばれている。子どものうちに保育すると人になつきやすく家畜化することも容易である。広重の浮世絵に「やまくじら」と書いたのぼりが描かれたものがあるが、これはイノシシの肉をやまくじらと呼んで当時の人に好まれていた。
中国の六朝時代の逸話に
晋の武帝がある日、家臣の家に行幸したとき、もてなしに出されて蒸しブタ(猪)肉がたいへんうまい。たずねると、人の乳を飲ませて育てたから、と答えた。それを聞いて、武帝は蒸しブタを食べるのを止めて帰ってしまった。
千葉県の松戸市には、古墳時代に幼児と赤ちゃんイノシシを一緒に埋葬した例がある。イノシシを家族のように飼育し、母乳を与えたのではないかという考古学者の研究がある。
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