二月も今日で終わる。思えば新年を迎えてからこの日まで、時間の経過の早さに驚く。この冬は雪の少ない冬であったと思っていたが、月末になって思いもよらない大雪にも見まわれた。雪掃きの作業を久しぶりにした。陽がさすと、見る見る雪が融けさっていく。太陽のエネルギーの大きさには、人力の虚しさを思い知らされる。
雪原の靄に日が融け二月尽 相馬 遷子
アベノミクスなる造語が踊り、円安が進んだ。不景気のなかで望んでいた円安だが、ガソリンや輸入食品の値上がりが目につく。デフレを脱却しなければという一方で、生活費への圧迫が喧伝されている。原発に頼り過ぎたエネルギー政策の見直しは、ここへ来て怪しくなっている。万人が納得するような国の舵取りは不可能であろう。だが、一番大切なものを守ることを基本に、国のあり方を変えていくことは避けては通れない。
松本哉『永井荷風ひとり暮し』を読む。父の遺産と著作の印税で得た現金を握って、終戦を迎えた荷風であったが、その暮らしぶりは異様なものに写る。戦災で焼け出された荷風は、一時知人の家に住むが、その家の一室で自炊をしている。飯盒で米を炊き、その上に野菜の
細切れを放り込んで味をつけた雑炊のようなものであった。
浅草への出遊は、荷風の日課であった。起きるのが遅かった荷風が浅草に着くのは昼である。アリゾナで昼飯を食い、親しくなったストリップ小屋の楽屋で踊り子たちに囲まれながら、幕間の寸劇の台本を書き、興にのって寸劇に出演さえしている。ひとり暮しの老人が、買い物袋を携え、東京の街をひょうひょうと歩く姿は孤独の影を色濃く反映したものであった。
最後は浅草への出遊もかなわず、市川の自宅付近の食堂大黒屋でカツ丼と清酒1合を飲んで帰った夜、気分が悪くなって、胃から血を吐き、息ができなくなって急逝した。掃除の小母さんが、死んだ荷風を見つけたが、うつ伏せになっていたが、首にマフラーをかけ、背広を着たままであった。その死に様は、一人暮らしの老人の最後を象徴している。