常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

本棚

2016年06月30日 | 読書


一度読んだ本は捨てがたい。そのため、本棚は増殖する。本棚には自分の読書生活の歴史のようなものが残っている。その時代によって興味を持つ分野も変遷している。奥の方に百目鬼恭三郎の『現代の作家101人』という本が出れ来た。中身を見るとこの101人になかに、興味を持って読んだ現代作家が数人含まれている。井上ひさし、井上光晴、北杜夫、島尾敏夫、瀬戸内晴美、辻那生、丸屋才一、和田芳恵など10本の指にも満たない作家だ。

最近、本屋めぐりの回数が減ってしまった。その分だけ、自分の本棚で本を探して再読することが多くなった。再読で読書の面白さを再発見することが多い。一度読んだ本の印象は、その時の興味のある部分だけが辛うじて頭の片隅に残っているぐらいで、ほとんどが初めて読むようなものである。ある人のブログにゲーテの言葉が出ていたので、文学全集のゲーテを出して『若きウェルテルの悩み』を再読した。貴重な体験であった。青春の恋愛というものがかくも激しく、死と隣り合わせていたことが、この小説の文章から脈々と伝わってくる。人はこのように人生を送るものなのか。

和田芳恵の『接ぎ木の台』も懐かしい。老境に入った男と年若い女の愛欲の話であるが、和田の人生観が70歳を過ぎて変わった。和田は「醜く見えることの、実は複雑な美しさ」に、晩年になって気づいたことを、「自伝抄」のなかで吐露している。本棚にある古い本のなかに、人生の実像が隠されている気がする。
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ズッキーニ

2016年06月29日 | 農作業


ズッキーニの収穫が最盛期を迎えている。この野菜は、どんな料理にしてもおいしいが、成長の早さが難点である。キュウリと同じで、花が咲き終わって一日経つと、大きくなる。ちょっと油断したり、葉の影で見落としたりするとたちまち大きくなりすぎる。最盛期には子どもたちに送ったり、近所に分けてもあり余るほどの量が取れれる。

そこでたくさん食べる調理法が必要だ。拍子切りにしてオリーブオイルを敷いたフライパンで焼いたところにポン酢を回しかける。火が通ったところで、上にとろけるチーズを乗せて蓋をする。5分も経たないうちに出来上がる。上に朝取りのバジルを刻んで振りかけると、いい香りがつく。やさしい味の老人好みのズッキーニ料理だ。腹にもたれることもなく、ビールのあてにグッド。
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うどん

2016年06月29日 | グルメ


考古学者の森浩一氏の著書に『食の体験文化史』という面白い本がある。森氏は万葉集に出てくる憶良の「瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ」の歌を取り上げ、この瓜をマクワウリと推定し、栗とともに生で食べたものと指摘している。話はマクワウリから、顕宗天王の皇后自殺の話となる。

『日本書記』に「仁賢天皇がまだ皇太子のとき、宴席でマクワウリを食べようとした。ところが刀子(ナイフのこと)が見当たらない。天皇が皇太子に刀子を皇后に渡させようとした。このとき、皇后は立ったままで刀子を受け取り、瓜盤に置いた。皇后はこのときの行為が、貴人を敬う礼儀にかなっていなかったことをおそれて自殺した」という話を紹介している。刀子(とうす)というのは小刀で、瓜を割ったり、皮を剥くのに使われていたことは興味ぶかい。著者はこの刀子が、現代の闇社会で使われているドスの発音がつながっていると述べている。

この本は、遺跡に出てくる古代の日本人に食にふれながら、自分の好きな食べ物を記録し、食の体験記を綴っている。森氏はうどんを好きな食べ物とし、94年にうどんを食べた回数が102回であったと驚くべき執着ぶりを書いている。そして、独身の学生たちへ勧める「うどんすき」のレシピにまで筆が及んでいる。

「深めの鍋に細かく刻んだ玉ねぎとジャガイモをたくさん入れ、醤油と砂糖もたっぷり入れた上に切り込みの牛肉を積み上げて煮る。よく煮えてきたら、上にうどん玉を一つか二つ、うどんの色が炊き汁がしみるまで煮あげる。卵をひとつ落としてもよい。自家製すき焼きうどん。かんたんで栄養たっぷり」。先生の愛情が伝わるレシピである。
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静夜思

2016年06月28日 | 漢詩


ある雑誌が「漢詩国民投票」というものを実施した。その結果、好きな漢詩では李白の「静夜思」が5位に入った。因みに第1位は杜甫の「春望」で、2位に杜牧の「江南の春」、3位王維の「元二の安西に使いをするを送る」、そして4位孟浩然の「春暁」となっている。好きな詩人を見ると1位杜甫、2位李白、3位白居易、以下杜牧、王維、陶淵明と続く。日本の詩人では7位に頼山陽が入っている。この投票は、2002年に漢詩の専門雑誌が行ったもので、投票数も363名に過ぎないので、実態を示しているとは言えないが、その傾向は得心がいく。

今週の実施される山形岳風会山形地区本部の吟詠大会で、わが教場の合吟がこの「静夜思」を吟じることになり、教場で出吟する人たちで練習をしている。

 静夜思 李白

牀前 月光を見る

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭を挙げて山月を望み

頭を垂れて故郷を思う

詩の意味は、ここで書くまでもなく明瞭だが、月光を地上の霜と詠んでいることに注目したい。実際に中秋の名月に北京の行った人の話では、日本の光景とは違い庭の土が霜の真っ白に見えるということである。乾いた黄土に月光があたれば、白く見えることに注意を置く。また、頭を垂れるのは、望郷の念に駆られた人の姿勢である。井伏鱒二にこの詩の名訳がある。

ネマノウチカラフト気ガツケバ

霜カトオモフイイ月アカリ

ノキバノ月ヲミルニツケ

ザイショノコトガ気ニカカル (井伏鱒二 訳詩)
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梅雨明け

2016年06月27日 | 日記


昨日、東京でセミが鳴いたというニュースが流れた。セミが鳴きはじめるのと梅雨あけは、統計的に見ると同時であるらしい。タチアオイが先端まで花をつけると、梅雨が明けるというのは、古くから言い伝えである。その伝でいけば、先端まであと五つ咲きあがっていかねばならない。しかし梅雨の晴れ間であっても気温はぐんぐんあがり、本格的な夏の到来を思わせる。

花々の前に雨ふる葵かな 皆吉 爽雨

初めて栽培したレタスが玉を巻いたのので、先日二つ収穫した。もう少し大きくなるのではと畑に置いていた。2、3日続いた雨で、傷みはじめたので、今日慌てて収穫。レタスが雨に弱いというのも、栽培してから覚える知識だ。収穫を待っていた玉ねぎも、雨の晴れ間に収穫してベランダに干した。ズッキーニやキュウリがどんどん生り始めると同時に、雑草の伸びもすざましい。畑で隣人と話すのは、草取りのことばかりである。
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