きのうから雨。道路には雪のない大晦日になった。大晦日のことを大つごもりと言う。月のはじめの日をついたち、最後の日をつごもり。月日を月の満ち欠けで数えたころの名残りである。糸のように細い月が日暮れの西の空に見えると、新しい月が始まる。これを月立ち、つまりついたち。それから月は次第に満ちて満月になる。その後は次第に欠けていってついに姿を消す。これが月籠り、すなわちつごもりである。その年の最後のつごもりは大つごもりというわけだ。但し、今用いている暦は太陽暦で、月の満ち欠けとは関係なく進行する。
大年の故郷への汽車に疲れゐる 楠目橙黄子
「井戸は車にて綱の長さは十二尋、勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゅうと吹きぬきの寒さ、おゝ堪えがたと竈の前に火なぶりの一分は一時に伸びて・・・」の書き出しで始まるのは樋口一葉の『大つごもり』である。商家山村の下女となって住み込むお峰には、弟とその面倒を見ている叔父夫婦がいた。店を出していた叔父が怪我で仕事ができず借金をし、その返済のめどがたたず年の瀬を越せない有様であった。
叔父を見舞ったお峰は小学生の弟が、叔父の薬代を稼ぎに寒風のなかを天秤棒を担いで蜆売り出かける窮状をみて奉公先から金二両を借りる約束をするのであった。奉公先の山村に戻って奥さまに頼んだか剣もほろろの挨拶、取り合ってもらえない。そこへ、この家の放蕩息子が酔っ払って戻る。弟が約束のものをとお金を取りにくる。思い余ったお峰が、奉公先の金に手をつけるという話である。
一葉自身、歌人中島歌子の萩の舎に住み込んで女中のように働いた経験がある。実は歌子は一葉を助教として萩の舎に招き、手当てとして月二円を払う約束であったが、その約束はどこえやら一葉は女中のように使われた。萩の舎に通う子女たちが払う月謝から、一葉は二円を差し引いて歌子に渡した。一葉が盗みをした言う噂が萩の舎に広まった。こんな経験が『大つごもり』には生かされて描かれている。大晦日の借金の支払いは待ったなし。一家の働き頭である一葉は毎年のように厳しい現実にさらされた。