チャペックの『園芸家の12カ月』の「6月の園芸家」の項に、作者が野菜をつくらない理由がユーモラスに書いている。
「生涯のある時期に、ニンジン、キャベツ、レタス、コールラビの花壇をいくつか作ったことがある。・・・ところが、間もなくわたしは、一日に百二十個の廿日ダイコンをひとりで平らげなければならないことがわかった。うちじゅうでもう、みんなが食べようとしなくなったからだ。その翌週にはキャベツをしょいこんだ。息をつくひまもなく、こんどはコールドラビ攻めにあった。それがまた、物凄い繊維質の、こちこちのやつだった。」
近所の知り合いがわづか土地にアスパラを植えた。丹精したかいがあって、太く立派なアスパラがたくさん取れた。そこの主人曰く「もうアスパラは飽きちゃったね。よかったら、採って食べてください」。随分飽きるのが早いと思ったが、野菜作り盲点であることも確かだ。
久しぶりの雨が降って、野菜がいちだんと大きくなった。シュンギクが大きくなったので、疎抜きして茹でた。シュンギクの春の香りが堪能できた。董を伸ばしはじめたアスパラ菜は採っても片手の手に乗るほどの量である。水菜はサラダで食べるのが最高だ。柔らかい繊維は、適度で口に入れたときから胃にやさしいのが分る。チャペックのように、120個もの廿日ダイコンや固いコールドラビを食べるのとは訳が違う。手折った手の感覚が、アスパラ菜にも、シュンギクにもミズナにも残っている。
このブログも始めて1年を経過したが、長く読まれている記事に「シシウド」がある。昨年は6月の23日にシシウドを採りに行っているが、今年もそろそろその時期だ。野菜や山菜を堪能できる5月から6月は、食べものを一番贅沢に味わえる時期である。