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263年12月、蜀主劉禅は魏に降伏して、蜀は滅んだ。いわゆる三国時代の終焉である。だが歴史年表のこの記述の約30年前に、蜀の滅亡を予告する事件が起きていた。234年の春2月、諸葛孔明は長安の約100キロの地ににある五丈原という台地に陣を敷いた。敵陣を指揮するのは名将司馬仲達である。味方を鼓舞し、敵を威嚇しなら陣を敷くこと100日、この戦場で孔明は病を得て死んで行く。死に際して、孔明は遺言を諸将に伝えた。吉川英治の『三国志』には、この遺言の内容が書かれている。
「自分が死んでも、必ず喪を発してはいけない。必然司馬仲達は好機逸すべからずと、総力を挙げてくるであろうから。(中略)孔明なおありと味方の将士にも思わせておくがいい。-然る後、時を計って、魏勢の先鋒を追い、退路を開いてから後、わが喪を発すれば、恐らく大過なく全軍帰国することを得よう。」
蜀軍ははこの遺言を守り、やがて「死せる孔明・生ける仲達を走らす」というかたちで、戦地を退却することができた。しかし蜀の勢力は次第に衰え、降伏を選ぶほかはなかった。この戦いは土井晩翠の「星落秋風五丈原」の詩に歌いあげられている。
祁山 悲愁の 風更けて
陣運暗し五丈原、
零露の文は繁くして
草枯れ 馬は肥ゆれども
蜀軍の旗 光無く
丞相病あつかりき。
晩翠のこの詩のリズムやイメージの流れが、「三国志」という英雄譚を語るにふさわしいものである。旧制高校の寮歌の響きにも似て、青年に流れる血潮をかきててるものである。