太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ (三好達治)
ぽかぽか陽気の師走も、あと4日間。ここにきて、数ミリの雪が降った。屋根に見える雪が新鮮に映る。31日と4元日、大雪の予報である。雪が少なく困っていたスキー場も安堵の胸をなでおろしているだろうか。山本七平『論語の読み方』を、まず手始めに読んでいる。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者はいのちながし。(論語雍也篇)
21日に山に登ってから、もう一週間になる。登山ロスの生活があと2週、論語の言葉がその気持ちをかき立てる。考えてみれば、天気のいい日に千歳山に登るという手もある。しかし、孔子が山を歩いたのは、あくまでも移動のための山道で、それを楽しんだとも思われない。ここでは、どっしりと動かない山の姿に惹かれている人の姿である。
阿川弘之の『論語知らずの論語読み』に、この言葉をテーマにした一文がある。マダガスカル島にいる友人に誘われて、海に囲まれたこの島に行き、海老やウニを食べながら、もちろん酒も飲んだにちがいない、「論語にあるが、俺は山より海が好きだ」と言ったら、友人も「俺もだ」と答える。こんな島に行けば誰でも、そうなるに違いない。大体、孔子が活躍したのは山東省の内陸であって、太平洋やインド洋も知らないだろう、という話だ。
宮崎市定の現代語訳を揚げておく。「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ、という諺は全くその通りだ。知者は運動が好きで、仁者は安静が好きなのだ。知者は目前を楽しく暮らす方法を知り、仁者は長寿の秘訣を知っている。因みに仁とは学問の究極の目的で、博く学んで熱心に理想を追い、切実な疑問をとらえて自身のこととして思索をこらすうちに自然と得られる。それを身につけたものが仁者である。