常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

グーグルアラート

2025年01月17日 | 日記
朝方の雪が止み青空も見えた。ブックオフで樺沢紫苑『インプット大全』を買う。この本は外部にある知識や情報をいかに効率よく取り入れて、日々の生活やその向上に役立たせるか網羅的に書いている。基本的な読む、聞く、見るについての記載があり、その肝は質の重視だ。本にしても、いい本、役立つ本は少ない。インプットはアウトプットと表裏をなす。いい考えを表明するには、いいインプットができていればこそだ。

うれしいことに、この本はインターネットからの情報のとり方にも触れていることだ。グーグルアラートという機能がある。このアプリに、自分の知りたい分野のキーワードを登録しておくと、その関連の情報を集めてメールで送ってくれるシステムだ。ほかに、facebookやxで、分野のキューレーターをフォローする。その人は知っておくべき大切なニュースや情報を解説つきで投稿しているのでそこから最新のニュースを知る。テレビのニュースは、詐欺や事故など暗いニュースに偏っているため見ない。など実に有益な知識満載の本だ。

映画をみることについて、こんな記述がある。「映画を見ることは、他人の人生をいきること」と記し、100本映画を見れば、100人の人生が生きられるとある。
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冬の一日

2025年01月16日 | 日記
晴の日が少ない。昨夜は大雪注意報が出ていたが、屋根にうすっらと雪があるのみ。駐車場も雪の心配はない。室内に取り入れたハーブの鉢が芽を伸ばし始めた。オレガノの鉢は下の方にびっしりと新芽が出た。ラベンダーは枯れた葉のつけねに小さな芽を一斉につけた。寒い冬にハーブたちはこんな贅沢をしていいのか。外で寒さに耐えるタイムも大寒に備えようとしている。

1950年の山形の冬。『山びこ学校』に「寒い冬」と題した門間きみ江さんの詩が載っている。

思わず
「うう寒い」と言ったら
「山にいったおっつぁのこと考えてみろ」
と、おっかにどなられた

そうだ。
ビュービュー風あたりのつよい山で
おっつぁと
あんつぁが
木を切っているのだ

そうだ
寒いなんて言っていられない。

昨日、夕食後に見た映画。デンマーク映画「ギルティ」をアメリカでリメイクされた作品。緊急通報センターに勤務している警察官ベイラー。彼は犯罪現場で容疑者を射殺してしまう。明日がその審判が下る日の夜。コールセンターに掛かってきた女性からの電話。声の向こうで何が起きているか、聞こえてくる声と音だけで状況を判断していく。緊迫したやりとりで、ベイラーは女性が誘拐されていると判断。家に残っている子どもたちを心配する通報者。電話の扱いがテキパキとして小気味いい。ベイラーはコールオペレイターの権限を越え、警官の仕事に入りこんでいく。元の相棒に電話をかけ、通報者の家に行ってもらう。そこで見た現実。残った二人の子のうち一人が死んでいた。通報者を助けようとしたことが思いがけない展開になる。その複雑な出来事が、電話と音だけで伝わってくる。橋の上に佇み、川に飛び込もうとしている通報者。その女性を助けようとしてベイラーが放った言葉。「あなたと同じで、自分も人を殺した。あなたにはあなたを愛する夫と娘がいる。思いとどまってくれ」必死の呼びかけに、無情に切れる電話とその時聞いた音。彼の電話にには、指令室からの電話。「通報者保護」ベイラーが目を戸外に転じるとすでに夜は明けていた。

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パーフェクトデイ

2025年01月11日 | 日記
昨日までの雪が止んで青空に葉山の雪嶺が輝いていた。夕べ見たプライムビデオの「パーフェクトデイ」のシーンが目に浮かぶ。渋谷地区の公衆トイレ掃除夫を生業とする主人公の目覚めは日の出前。太陽が出る前の空を見上げながら家を出る。作業用具を積んだ軽ワゴンにはカセットデッキが備えられている。お気に入りの洋楽を聞きながら作業場に向かう。主人公の一日はルーティンと言っていいほど同じ行動を繰り返す。歯磨き、口髭の切りそろえ、鉢で育てている幼木への水やり。そして空を見上げ、樹々の葉が朝日に輝く姿に見入る。トイレ掃除は実にきめ細かい。ゴミを拾い、便器を洗剤をつけた雑巾でしっかりときれいにする。帰宅前に立ち寄る飲み屋での一杯の酎ハイ。布団に入って読む文庫本。幸田文の『木』もその中に入っている。本を手にして眠気がくれば、開いたページをそのまま伏せて眠りに落ちる。夢を見ているような映像が流れて、朝が来る。路地には毎朝、道路を掃くおばあさんがいる。

この映画は2023年に日本とドイツの合作で作られたドラマ映画。監督ヴェンダース。主演役所広司。カンヌ映画祭で役所は男優賞を受賞した。映画のなかに不思議な秘密がある。トイレの備品の間にノートの一枚が切り取られ、二つ折りにして中に縦横の線を交差させて表のようなものが作ってある。真ん中に〇が書きこまれてある。主人公はそれを取り出してじっと見入る。やがて斜め上に×を書き込んで紙をあった場所に戻す。誰が置いたか分からない紙、二人は記号を書き込んでいく日が過ぎる。ページ表に記号が埋まった日、笑顔マークとsankyuという文字が書き込まれた。主人公はだいじそうにその紙をポケットにしまう。名乗らない人との記号のみでの交流。都市の人々の交流にはこんな形もあるのか。

正月が過ぎて夜の酒を止めた。睡眠の質が向上していることをスマートウォッチが知らせてくれる。睡眠スコアが70点台から80点台に。寝入ってから朝まで目覚めることがなくなった。雪が降っても外に出る気持ち高くなってきた。室内入れたハーブの鉢も元気そのものだ。オレガノの株の下の方に、無数の新芽が伸び始めたいる。セージの枝の芽も伸びだしている。植物の香りと成長に日々の元気をもらう。
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雪景色

2025年01月09日 | 日記
朝、窓を開けると今年初めての雪景色だった。だが道路に圧雪もなく未明の除雪車の音もない。周囲の雪どころでは、例年にます積雪だがここ山形だけが雪を降りのこしているような様子だ。北陸や四国まで雪。予報では不要不急の外出はさけるようにというアナウンスだがここはまだ本格的な雪は来ない。昨日笹谷に登った山仲間の話では、つぼ足での歩行が可能だったという。大寒から立春まであとひと月を切ったが、この冬はどんな雪景色がみられるか。
一夜明けて雪が止んだ。青空のもと朝日に昨夜降った雪がきらめいている。上山方面の山が間近に迫っている。駐車場では雪はきにでている人が見える。昨夜酒を飲まずに寝たせいか、睡眠のスコアが80,良好にあがった。雪の日の新しい時間の過ごし方。妻と見るビデオプライム。昨日は映画、「ラーゲリより愛をこめて」。主演二宮和也、北川景子。極寒の地シベリアにあるソ連収容所ラーゲリ。ソ連軍のハルピン進行で一家離散し、シベリアの収容所に送られた山本幡男の離散した家族ととの約束。収容所の強制労働の描き方はパターン化されてリアリティに欠ける。

知人に正月の過ごし方を聞いたところ映画館という答えが返ってきた。足の不自由な妻を映画館まで伴うのは無理だが、家でのビデオプライムなら好きな時間に好きなものを選んで見ることができる。映画を見て成長した詩人寺山修司は「暗闇の宝さがし」というエッセイを書いている。映画の名セリフは探しだすものと、書いている。そして見つけた宝物の哀しい言葉。

「一つおとりよ」
ピエールマッチをすって手のひらの上のガラス玉を照らして見せる。
「お星さまのかけらだ。空から落ちたんだよ」(「シベールの日曜日」)

この映画の主人公は無垢な心の少女フランソワーズと記憶喪失者のピエールだ。ガラス玉を星のかけらと思い込める純真んな心は、そのガラスのかけら傷つけられる心でもある。高齢になって見る映画は、涙を誘う。好奇心で目をギラギラさせて見た時代は、映画を見て泣くようなことはなかった。涙が出たからっといって価値の高いいい映画の尺度にもならない。
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良寛忌

2025年01月06日 | 日記
天保2年1月6日午後4時頃、僧良寛は新潟の長岡国上村の木村家の草庵で息を引き取った。享年74歳、老衰のためと言っていい。臨終の場所には仏弟子の遍澄法師、貞信尼が身辺の世話にあたり、弟の由之も家から草庵に通った。その様子は弟の日記『八重菊』に綴られている。瀬戸内寂聴の小説『手毬』には、創作を加えて、臨終の様子が生々しく描かれている。

死の二日前、逓信尼は由之と交代でお伽をしていた。

「お心にかかることはございませんか、御心持はいかがでしょうか」と申しあげた。良寛さまは薄目をあけて、まっ直ぐ私の目を捕らえ、「死にとうない」とつぶやかれた。聞き違いかと、一瞬目を大きくしたが、その私の表情をご覧になって、うっすらと微笑され、「死にとうない」ともっとはっきりいわれた。「こんなにやさしい人たちに囲まれているのだもの、この娑婆にながらえたい気がする」
もはや薬も食事も自ら断たれているようなので、私も覚悟を決めていった。
「御時世は」良寛さまは半分眠ったようなうつらうつらとした声で、
「散る桜、残る桜も散る桜」とつぶやかれ、そのままひきこまれるようにすとんと眠りに入られた。

葬儀は与板の徳昌寺大機禅師によって盛大に行われた。会葬者285人、お斎に使われ白米は一石六斗と伝わっているから、新潟の小さな村の葬儀としてはいかに大きなものであったことが知られる。知人に形見の歌と乞われて詠んだ歌

かたみとて何かのこさむ春は花
 山ほととぎす秋はもみぢば
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