常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

西黒森山

2015年01月31日 | 登山


2週続けて、青空のもとで雪山歩きを楽しんだ。低気圧が北進して、北の海で発達しているので、雪か風を覚悟していたが、みごとに外れて陽射しのなかの雪山歩きを楽しんだ。西黒森山は白鷹山に隣接した里山で、標高847m。この季節に毎年登っている。山中で除雪していたブルの作業している人に尋ねると、道はここでいいが、こんな雪道では登られないとのこと。地元の人でも、めったに登らない山のようである。

里山は標高はさほどないが、勾配のきつい山が多い。西黒森山も例外ではなく、きつい勾配の雑木林を登った。頂上までの距離は約1.2キロ、標高差300m。直登をさけて、なるべく勾配のゆるい尾根道を探しながら登る。積雪は2mぐらいだろうか、昨日の新雪が30cmほどで、その下は堅い雪になっているので、ラッセルがしやすい。新雪の上には所々にカモシカとウサギの足跡があったが、鳥の声も聞こえない静かな山中である。



木の根元は穴になっているところがある。木のもつ生命力が雪を溶かすのか、落ち葉が見えている。雪の先端が解けたところから小さなツララができている。雪山で注意が必要なのは、木の根元の穴である。積雪が多いほど穴が深くなるので、うっかりすると穴にはまって出られなくこともある。



頂上から作谷沢の集落が見える。標高差は300mほどしかないのだが、集落の家は小さくしか見えない。わずかに白鷹町へ道路が見えている。こんな風景も、雪山の中をあるいてこなければみることのできない景色である。雪は新雪で大陸からの黄砂もなく、新雪はあくまでも純白である。この日の同行者には、2名の80歳越えのメンバーがいた。80歳までこうして雪山歩きをできることの幸運をこもごも語っていた。

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庖丁

2015年01月30日 | 日記


漢和辞典を見ていると色々面白いことがわかる。最近は厨房に入る男子も増えて、包丁を握る機会も多いようだが、そもそも包丁の字が違っている。本字は庖丁である。庖は台所を指していて、包んだ肉を置くところであった。丁はそこで働く人の意味である。したがって庖丁は料理人を指す言葉であった。

漢和辞典には、丁はまた人名ともいう、いう説明も載っている。「荘子・養生主」に庖丁、文恵君の為に牛を解く。これは、庖丁というみごとな腕を持った料理人が、王に呼ばれて、牛の解体を行った話である。今はマグロの解体ショーが人気であるが、牛刀を持った庖丁が王の前で牛を解体するのだから豪快である。

庖丁の手際はみごとで、牛の身体に牛刀をグイと突き立て、サッと引くと、肉はきれいに切り分けられた。王は、「どうしてそんなみごとな技を身につけることができたのか」と問うと、庖丁は答えた。「三年間修行を積みました。そのおかげで、どこにどんな骨があるか、外から見てもわかるようになりました。もう数千頭も解体しましたら、このようにぴたり、ぴたりと切り分けられるのでございます。」

漢和辞典の次の説明に、□で囲んだ国をつけて、料理用の刃物。と説明している。同義として包丁とある。したがって、刃物を庖丁というのは、日本だけだし、包丁も日本で通じる漢字である。本場の中国には、このような使い方はない。節分が近づいている。方々の神社で、包丁式なる神事が行われる。包丁と箸だけをつかって、手を振れずに鯛を捌いて神に奉納する神事である。


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諸葛孔明の祠堂

2015年01月29日 | 漢詩


詩吟教室の課題吟、杜甫「蜀相」を習った。

丞相の祠堂何れの処にか尋ねん

錦官城外柏森森

丞相が蜀漢の劉備に請われて、軍師となった諸葛孔明であることはすぐに思い出したが、この中国の戦史『三国志』の諸編が、すっかり記憶の底に沈んでしまっていることに呆然とした。詩聖と呼ばれる杜甫が、まさに『三国志』の孔明の祠堂を尋ね、その事跡を詩に詠みこんだものであることに改めて気づかされた。

三顧頻繁なり天下の計

両朝開済す老臣の心

「三顧の礼」は劉備が、孔明が陋居していた草庵を訪ね、天下を治める方策を問うたのであった。孔明は先主劉備に答えて、三国鼎立の策をとり、蜀漢二代の皇帝に仕えて老臣の真心を傾けたのである。杜甫はわずかこの14文字に、孔明の事績を詠んだ。

師を出して未だ捷たざるに身先ず死す

長えに英雄をして涙襟に満たしむ

劉備が出征中に死んだ後、孔明は南征して、西南方面の安定を図った。そして北征して魏を討とうとした。そこで、王に出した上奏文が有名な「出師の表」である。この北征の道半ばにして、孔明は病に倒れた。

土井晩翠の「星落秋風五丈原」は、諸葛孔明の死を詠った絶唱である。

祁山 悲秋の 風更けて
陣雲暗し、五丈原、
零露の文は繁くして
草枯れ 馬は肥ゆれども
蜀軍の旗 光無く
鼓角の音も 今しずか。

丞相病あつかりき

いま、この中国の戦史の記憶を取り戻すのは、中国の詩文や土井晩翠の詩の数行でしかない。この年になって昔読んだ本を読み返すのは、自分のかっての心を取り戻すことでもある。幸い読むべき書物は、本棚に溢れている。

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クンシラン

2015年01月28日 | 


今年の室内の花は実に淋しい状態だ。去年あれほどきれいにでたわわに花を開いたシンビジュームやカトレアが、あまりたくさん花をつけたせいか、本体が弱って一つも花芽がでない。かろうじて、クンシランから二本だけ花芽が伸びて、もうすぐに花を開くところだ。この鉢もも妻の友人から貰った鉢だが、株は年々増えて半分ぐらい、別の鉢に植え替えて育てている。

クンシランは蘭の名がついているが、ラン科のはなではない。ヒガンバナ属の植物で南アフリカの草原が原産地である。明治時代に日本に入ってきたが、葉の形が万年青に似ているため、花とともに葉を鑑賞する人もいるらしい。

真白なる襖へ葉先君子蘭 伊藤 葦天
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結露

2015年01月26日 | 日記


冬の不快なものの一つは、窓や壁にを濡らす結露だ。写真は一見飾りガラスのように見えるが、ガラス戸にびっしりと付いた水滴である。多い日は、水滴取りの容器にいっぱい、ほぼ180ccほども取れる。炊事や暖房で発生した水蒸気が冷たいガラスに触れて露を結ぶ。ガラスはこのように目視できるが、壁や北側の押入れなどは知らずに結露していて、洋服や大切なものを濡らしてしまうこともある。

わが家では窓はすべて二重にして外気の触れる部分の冷却を防いでいるが、外側のガラスや窓の下の壁紙は結露の被害を受けている。対策は適度な換気も有効だが、寒い日はさすがに外気をいれるのは躊躇われる。そこで結露しやすいところにはなるべく物を置かないという、消極的な方法をとるぐらいしかない。

昔、中国から船倉に緑茶を積んでヨーロッパに輸出したが、むし暑いインド洋を通るとき、船倉に湿気ができ、緑茶が黒くカビが生えたようになって変質してしまった。しかし飲んでみると、味は違っているが、なかなか美味しいので、そのまま飲用にした。これが紅茶の始まりである。煮豆を輸送中にカビが生えて納豆ができたように、人間は思いもよらない偶然で、貴重な食材を得てきた。わが家での結露では、健康に害を及ぼすカビは生えても、食材を生み出す偶然は起こりそうもない。

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