常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

山菜

2021年04月30日 | グルメ
今年の山菜は、コゴミ、ワラビ、アケビの芽、ヤマニンジン、タラの芽、コシアブラ、アイコなどほんの少しずつ食べた。どの山菜も春を感じさせてくれ、食卓に彩りを添えてくれる。春を待つ、というより、「もうワラビが出たの?」と驚かれるような早い春の訪れであり、初夏が足早に迫っている。ふと気づくのだが、山菜採りに行った人から、お裾分けしてもらうことが多くなった。以前はウドなど持ちきれぬほど収穫して、好きな人に分けて歩いたものだ。水上勉に『土を喰う日々』というエッセイがあるが、その4月の章に、山菜を食べる歓びが書かれている。

「この季節は、たらの芽、アカシアの花、わらび、みょうがだけ、里芋のくき、山うど、あけびのつる、よもぎ、こごめなど、わが家のまわりは、冬じゅう眠っていた土の声がする祭典だ。収穫したものを台所へはこんで、土をよく落とし、水あらいをしていると、個性のある草芽のあたたかさがわかっていじらしい気持ちがする。ひとにぎりのよもぎの若葉に、芹の葉に、涙がこぼれてくるのである。」

収穫した山菜は、テーブルの上に新聞紙を敷いて、仕分けや始末をする。固い部分やごみを除き、食べる部分を集める。その時点で、山菜の手触りや、放つ芳香ですでに山菜を食べた気になる。口のなかに広がっていく山菜の香りに、しみじみと生きている歓びを感じる。

ひとびとの言葉しづかや初蕨 八木林之助
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イカリ草

2021年04月29日 | 
野山にイカリソウが咲いている。昨日の天気予報で、今年はどの花も1~2週間早く咲くと言っていた。この花も早めの開花である。薄い黄色の花はどこか気品を感じさせる色だ。ただ、角のよう突き出す花弁は船の錨を下げたような形をしている。この長い花弁の中の蜜を吸うには、長い嘴を持つ蝶がやってきてその頭に着く花粉が花柱の頭について受粉する。自然の造形は、深い神秘に満ちている。

中国ではこの花を淫羊藋と呼び、強精に効き目のある植物として日本でも長く信じられてきた。52歳で若い妻を娶った小林一茶も、柏原の自宅に近い野山でイカリソウや黄精などを苦労して採取して、煎じて飲んだらしい。ところが戦後のなってイカリソウの成分を研究した人がいて、どう調べても強精に効果を出す成分が含まれていないことが実証された。植物学の牧野富太郎も「今日では淫羊藋説を信じる馬鹿者はいなくなった」と記している。

痩せ蛙負けるな一茶これにあり 一茶

一茶は沼の縁で、一匹の雌蛙をめぐって、数十の雄蛙が集まってきて闘いを始めるのを目撃している。やかましく鳴きながら、雄蛙が挑みあう。みると、痩せた蛙が隙を見つけて雌にしがみつくと、たちまち別の雄にひきづり降ろされる。思わず一茶が詠んだ句だ。一茶の生い立ちは、この痩せ蛙にも似て、決して強者の側にいることはできなかった。52歳にして初めて妻を娶ったことは特別の感慨があったに違いない。

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新緑

2021年04月28日 | 日記
里山の緑が、日々に新しい景色を生み出していく。そのなかに咲く山桜が、ぽつんぽつんと咲いて風情をかもしだす。ツツジが咲く前の早春である。ワラビやコゴミなど、春の味も懐かしい。

石激しる垂水の上のさわらびの
 萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子(万葉集巻8)

志貴皇子といえば、天智天皇の第七皇子である。歌の題字には「よろこびの歌」となっている。わらびが春の訪れのシンボルとなったのは、貴賎を問わず
春の味覚として珍重されたのであろう。万葉集では、春の野に立って叙景の歌を詠んだのではない。天武天皇の第四皇子、長皇子との宴の席の歌であったと解説本にある。新しい奈良の都を寿ぐ宴で、さわらびの伸びる春の躍動と、王朝の隆盛を謳いあげたものと読める。

『源氏物語』に「早蕨」の巻がある。父八の宮、姉君を亡くし、鬱々とした日を送る中の君のもとへ、籠の盛られた早蕨が届いた。送り主は父が帰依していた阿闍梨。「これは寺の童たちが摘んで仏に供えた初物でございます。」という手紙が添えてあった。

この春はたれにか見せむ亡き人の
 かたみに摘める峰の早蕨

中の君が返しに詠んだ歌である。励まし合って生きた来た姉の亡きあとの悲しみが伝わってくる。
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川の辺

2021年04月26日 | 日記
川の辺につい足が向くのは、川の傍で育ったせいなのだろうか。不思議な符合があった。あの長谷堂城址の射干がもう咲いているころかと、考えながら歩いていると須川べりの花壇にひと群れの射干が咲いていた。それにしても川音が懐かしい。蔵王の雪解けがすすんで、川の流れ込んでいるのか、川底の石にあたる水音が心地よく響いている。土手に野の花が咲き、川岸の木々は芽吹きはじめた。1日ごとに、緑が濃くなっていく。

川の流れは、昔のことを思い出させてくれる。流れに足を入れて、姉たちと持っていた手ぬぐいを広げて小魚を掬うのが面白かった。その思い出に出て来る姉たちは、もうこの世にはいない。思い出のなかにだけは生き続けている。鮭が遡上してくる川であった。広い川を埋めつくすように登る鮭は手づかみでいくらでも獲れた。土地の老人たちから聞いた話だ。
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めでたきもの

2021年04月25日 | 
早い初夏が藤の花を咲かせた。『枕草子』にめでたきものとして、「色あひふかく、花房ながく咲きたる藤の花の、松にかかりたる」(88段)とある。このお宅では、この段を知られているのか、枝ぶりのよい松に、藤の蔓が絡んいる。藤は古来、妻問いの霊力のある花と考えられてきた。

古事記にこんな話がある。新羅から渡来したイズシオトメという美しい女性がいた。あまりの美しさに、年ごろの男たちが挙って求婚して、自分を色々な方法で売り込んだ。そんななかに、ハルヤマノカスミオトコという青年がいた。青年の母は、息子のために縁起のよいと言われる藤を使った衣服をきせ、弓矢を持たせて、オトメに会わせた。すると衣服や弓矢からいっせいに藤の花が咲きだした。あまりの美しさにオトメはたちまち恋に落ち、二人はめでたく結ばれた。

この連休が明けると、孫が結婚式を挙げる。去年予定してものが、コロナのために延期していたが、いよいよその日が近づいてきた。藤の花の霊力で、コロナを退散させ、無事に式が終わってくれることを祈るのみだ。

草臥て宿かる比や藤の花 芭蕉
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