一期一会、そんな言葉にふさわしい景色に触れた。晴れ渡る秋空。錦秋の森を抜け出して見た光景をあらわす言葉を知らない。神室連峰の一角をなす一杯森は、急峻な登りではあったが、歩きやすい登山道。次々と眼前に現れる錦のような紅葉の光景、そして頂上で開ける神室山塊の大パノラマは実にシーズンの最期を飾る圧巻であった。神室山塊は奥羽山脈の一部で、山形・宮城・秋田3県にまたがる山地である。火山の多い山形にあっては珍しく非火山性の山塊である。したがって、一番高い小又山(1367m)を中心に1000ⅿ内外の山地が連なり、突出した頂はない。西側に緩い傾斜を持ち、東側に雪食による切れ落ちた非対称山稜となっている。戦後、ブームとなった登山で、神室山縦走は人気の高い登山コースでであった。自分も20年近く前、火打から神室、小又山、杢蔵山のコースを踏破した。もう記憶の底に眠る思い出だ。
登山口は新庄市の萩野集落奥の林道の先にある。砂利道の細い林道は、登山口の1㌔ほど手前で侵入禁止になっていた。萩野はかって軍馬を育てる牧場であったが、昭和2年に理想の農村をつくろうと開拓が行われ、15戸の開拓民が入植した。指導には自治講習所の所長として赴任していた内務省の加藤完治である。加藤は満蒙開拓で指導力を発揮したが、この萩野での経験が生かされてと言われている。通りに廃校になった萩野小学校の敷地が残されていたが、ここにはそんな歴史がある。
登山口到着は8時21分。杉林の向こうに、もう紅葉した広葉樹林が見えている。登り始めてすぐに急な勾配である。登山口の標高は350m、登り初めから30分、歩幅を小さくしてゆっくりと進む。心拍数を110程度を維持することを心掛ける。持参しているスマートウォッチは140泊を超えると警告が出る。
目前の光景は、山道のカーブを回るたびに変わっていく。ブナの純林が現れる。先週も、その前もブナに純林に感動したが、ここの紅葉が混じった光景はより心を躍らせる。行けども紅葉、そして黄葉。山道には少し濡れた落ち葉が積もっている。落ち葉にかくれて木の根が這っているのが要注意。ここに足を躓かせると転倒する。紅葉の景色に目を奪われると、足元を取られる。頭では理解しているものの、目の前の光景はそんなことも忘れさせる見事さだ。落ち葉を踏んで歩くと、かさかさとリズミカルな音がする。葉が乾燥すると、落ち葉の上を歩くのはもっと楽しくなる。
道幅は狭く、左手の谿は深く切れ落ちている。山ブドウが高い木をアーチ状に結んで黒く熟している。高すぎて収穫することは無理。それにしてもなんとも見事な紅葉だ。谿を渡るところは、道が悪路で注意を要する。後ろを歩いていたTさんが、思わず「怖い」とつぶやく。登山という楽しみは、常に怖さを伴っている。恐怖心を注意にかえて、いかに楽しむか。山を趣味とするものの永遠の課題だ。
高度800m付近では、樹高が低くなっていく。あの見事な紅葉は次第に姿を消していく。高度で600mを稼がなければ頂上には着かない。あと200m。これからが正念場、疲労はピークに達する。まだ着かない、ということばかり考えていると疲労感がたまる。残念ながら、気分転換する光景も少なくなってしまった。あと1時間、我慢の時間である。談笑の声も途切れがちになってくる。この時間が辛いものであれば、その分比例して、開けた光景を目にする歓びは大きくなる。
本日の参加者7名。内男性2名。頂上で、ハヤシ味のカップメシ。頂上は秋風で温かいものがありがたい。下りは、往路を忠実に辿る。登山で使うエネルギーは下りでは、登りの三分の一と言われている。濡れていた道も快晴の陽ざしに、日陰を除いて乾いている。危険個所を注意しながら順調に降りる。ロープを張られた急勾配が1ヶ所。登り3時間に対して、下りは2時間15分。帰路舟形の若アユ温泉で汗を流す。検温は自動カメラが設置されているのが珍しい。