いよいよ今年も後一日。新年を迎えるため、南天と五葉松に菊をあしらって飾った。昔、生け花を習っていた妻の作だ。窓からの光を浴びて、きれいに見える。以前にも書いたが、南天は難転、難を転じて福となす、という意味に無理に解されて、万事成就でめでたいものとされている。そのため、正月の花材としてよく用いられる。縁起をかつぐという、しおらしい気持ちから、玄関の飾りに使った。
南天の実に惨たりし日を憶ふ 森 澄雄
起床前、中村仁一『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読む。義母の生き方を見るにつけても、人の死について、共感できる内容である。ヨガの仲間の元看護婦さんも言っていたが、「70を過ぎたら薬なんか飲む必要はないよ」ということの意味もわかる。
今年を振り返ってみると、一番の想定外は夏から秋にかけての異常な高温である。畑の植物が正常に生育できないことへのいらだち、どうしてもやることできない自分への苛立ち。来年こそは、もっと周到に準備して、野菜たちの健康な姿を見ることができるように努力していきたい。
来年は山登りの取り組みも、今年以上にやっていきたい。足腰を鍛えて、楽しく登り、いい写真をたくさん撮る。森羅万象にふりそそぐ光を見つめ、そこに生まれる素晴らしいシャッターチャンスを一つでも多く見つけたい。