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きょうは中秋の名月、その月を狙い打ちするように、台風17号が接近している。今夜の月は、雨か雲にさえぎられて見られそうにない。良夜をこよなく愛し、空に浮かぶ月を見て、故郷の肉親や友人の顔をその月に重ねるのが、古来日本人の大切にした風習であった。だが雨や雲にさえぎられて見えない月もまた愛されたきた。月の出ない十五夜を無月という。そんな時は、風の音を楽しむという風流心があった。
月なうて悲しかりけり松の風 才 麿
雨が降れば、雨月と呼んで親しんだ。さすがに風流人の負け惜しみのような気もする。ならば今夜のように、台風にかき消された月は、どのように楽しめばよいのだろうか。
雨の月どこともなしの薄あかり 越 人
月を見る習慣は、唐の国が本家である。白楽天が、辺境の地へ左遷させられた友人を、十五夜の月を見ながら、思いやる詩はあまりにも有名だ。
三五夜中新月の色
二千里外故人の心
三五夜とは十五夜のことである。登ったばかりの名月によせて、二千里離れた君のことを偲んでいるよ。いま、そちらで、どんな気持ちでいるのかね。そして、
猶恐る清光同じくは見ざらんことを
広陵は卑湿にして秋陰足し
と詠んで、君が左遷させられた広陵は、湿気が多く曇り勝ちで、きょうの名月をみられないのではないかと心配している。
ところで、日本では地上から月を眺めるのが伝統であるが、宇宙船に乗って月面は降り立った人々がいる。その第1号は、1969年に月面着陸した、アメリカ宇宙船アポロ11号の船長ニール・アームストロングである。飛行船から月面に降り立ったアームストロングは「私の一歩は小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という有名な言葉を吐いた。私は、この衛星中継を、近所の家のテレビで見せてもらった。
アポロから見た月は、太陽の光によって刻々と色を変える。褐色から灰色、そして太陽が当たる昼間は、白く輝くという。そのとき、月から遠く地球が見えていた。「地球は青かった」というのは、ソ連のガガーリンの言葉だが、月から見た地球には、写真には捕らえきれない形容しがたい美しさがあるという。地球を覆う大気と水が作りだした、神秘的な美しさだ。
近代技術の発展によって、月を見るという、人類が地上に現われたときから続いた行為とは反対に、その月から地球を見るという信じられないようなことが可能になった。宇宙船地球号という言葉は、この宇宙への探求から生まれた言葉である。この地球には、乗せきれないほどの人間が生きている。もはや限られた財産である地球をシェアしながら共存するほかに、人類の生きていく道はない。人間同士が、国境や信条の違いを巡って争いを繰り返すことは、とうてい許されることではない。