常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ラベンダー

2013年06月30日 | 日記


山辺町にある玉虫沼ラベンダー園を見にいった。紫の花が咲き始めていた。富良野のラベンダー畑というわけにはいかないが、園につくと甘い香りが漂っている。日曜日のせいもあったのか、広い駐車場に車を入れるのに苦労するほど、見物客がいた。車のナンバーを見ると、大阪など県外ナンバーも多い。ラベンダーを愛する人がそれだけ多いということか。

ラベンダーは色々あるハーブのなかでも代表的な存在だ。原産地は地中海沿岸の海抜1000mもの高地である。そのため涼しく、乾燥した環境を好む。山辺の山間部にある玉虫沼のあたりは、ラベンダーの生育の適しているのであろう。寒さには強く、雪中でも冬越しが可能だ。ラベンダーの香りは、人の心をやすめる。そのため、ワインの香り付けや、ポプリにして枕に入れると、安眠の作用もあるらしい。

ラベンダーの歴史は古い。古代ローマ人は、入浴や洗濯のときこの花を入れた。ローマでとくにこの花の香りが好まれたらしい。ラベンダーは食用としても利用される。乾燥させた花穂をすり鉢ですりつぶして香りをたて、密封ビンに入れた砂糖に入れて置くと、ラベンダーの香りが移ったセンテットシュガーができる。焼きたてのパンに塗ってシュガートーストにして食べる。花の色も香りもいいのがラベンダーである。
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青梅

2013年06月29日 | 日記


梅の実は葉のかげで葉と同じ色をしているので、木の下でよく見ないと気づかないことが多い。青梅のの香りが、蝶や虻を誘う。梅の実の特性をつかんだ句に

葉がくれにありと思ふゆ実梅かな 高浜 虚子

昔、嫁取りした婿が妻の実家にあいさつに行く、婿入りという慣わしがあった。この慣わしを扱った狂言がある。婿「イヤ申し、こなたの喜ばせらるる事がござる」舅「それはいかようなことでござるぞ」婿「この間おごうは青梅を好いて食べまする」舅「これは一段のことでござる」

「おごう」は妻のこと、「青梅を好いて食べる」のは、お腹に赤ん坊が宿ったことを言っているので、現代ならさしづめ、夏みかんであろう。中世には、夏みかんのかわりに、青梅を食べたのだろう。

ところで、梅干が健康食品で、朝毎日食べるが、この梅干漬けもこれからの家庭で漬けこむ季節がやってくる。秘伝豆の種まき。ニンジンの種まき、秋ダイコンの種まきと忙しい梅雨の農作業が待っている。
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紫陽花

2013年06月28日 | 日記


紫陽花が雨に濡れてきれいだ。BS5チャンネルにフォトラバーという番組がある。写真を撮る楽しさを教えてくれる番組だが、そのなかに紫陽花を撮ったシーンがあったので真似てみた。紫陽花がきれいな日に、新車が届いた。人生最後の車である。老後の足としして、老夫婦が乗りやすいコンパクトカーにした。

ところで車の購入だが、初めてネットを使った。発注から納品まで、メールと電話と書類のやり取りだけだ。売る側からのお勧めは一切ない。グレードもオプションも、買う側の意志だけが尊重される。いままで大きな買い物をした習慣から、売る側の提案をあまり吟味しないで受け入れてきたから、納品が終わってみるとあっけない感じで、なにかもの足りない感じも正直する。買うときの研究というものが自分には足りないことが分った。

紫陽花の古名はあずさい、あずは集まっている意味で、さいは真藍、さあいがつまってさいとなった。つまり藍色の小さな花が集まっているから、こう呼ばれたのだとものの本に書いてあった。ネット社会も同じような気がする。小さな点が集まって、大きな力を生み出す。これから、社会との繋がりが失われていく世代には、こんな紫陽花のような集まりが力を持つような気がする。
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棚田

2013年06月27日 | 日記


朝まで雨が降った。棚田の緑が一段と濃くなっている。棚田の風景を見るたびに、山間部で田を作ってきた先人の労苦が偲ばれる。同時に、その風景は、なぜか懐かしさをともなった感慨を呼び起こす。棚田の上の方には、沢を流れる川の流れを引いて、ため池が作られている。そのため池から、水路を巧みにめぐらして田に水を入れる。そんな水の管理が棚田の基本である。旱魃の年には、水をめぐって集落の間に争いが起きるのも珍しいことではなかった。

山形県には日本の棚田百選に選ばれた棚田が3つある。椹平(朝日町)、大蕨(山辺町)、四ヶ村(大蔵村)である。四ヶ村棚田のホームページに「耕して天に至る」という言葉が記してあった。急峻な土地を耕した棚田を見ると天までも続くような壮観。それが棚田の景観であるが、その地ににはそこを耕した人々の汗と涙が滲みこんでいる。棚田を見て懐かしい感慨にとらわれるのは、そうした先人の末裔として今を生きているからであろう。

このごろ、畑の除草をしながら土に触れていると、心がやすらぐように感じる。自分がいじっている畑は、たとえようもないわずかのものだ。だが、そこで、季節が移り、植物が育ち、それをめがけて鳥や鼠、虫にいたるまで多くの生命がせめぎあう。そうしたものに直に触れることで、自分が自然に溶け込んでいる感じがする。そのことによるやすらぎ感である。強い太陽の陽に焼かれ、蚊にさされながら、全身に止まらない汗を流しながら、棚田を耕した先人にほんの一歩近づいたという安堵感だ。

ズッキーニが生長中だ。収穫は昨日4本、今日5本。花が次々に咲く。毛筆で雄花の花粉を雌しべに受粉させる。


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ホタルブクロ

2013年06月26日 | 日記


光禅寺の庭にホタルブクロが咲いていた。日ざしの強い日中に見ると、すこしボケたような印象であるが、花の多さはうれしい。野に咲くホタルブクロは白が多いような気がする。田のあぜ道によくこの花が咲いていた。夕ぐれになると蛍が飛び交い、その脇のあたりこの花が咲く。女の子どもたちはこの花の中にホタルを入れて、そっと手で包んだ。花のなかでホタルが光るのが、手のなかに見える。幻想的な感じがする。

こんな子どもたちの遊びが、この花の名の由来である。

夕風に蛍袋のひとかたまり 細見 綾子

梅雨時の山道で、白く咲くホタルブクロの花に出会うことがある。細長い釣鐘を下げたような花の形である。花の名には疎く、大抵は花をよく知る人からその名を教えてもらう。だが聞いたその場で、花の名など忘れてしまうことの方が多い。何故花の名を知ろうとするのか自分にも理由はよく分らない。

ホタルブクロは珍しく忘れない花の名だ。女の子たちの遊びと名がつながっているせいかも知れない。しかし考えて見ても、そんな遊びをいつ、誰としたのか記憶は霞んで思い出せない。白い花にすこしゴマのような斑点がついていたような気がする。
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