常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

明月記

2017年11月30日 | 読書


今年は近所に住む人たちの訃報を多く聞いた年であった。同世代で、同じ地域で生きてきた人ばかりなので、寂しさが一入である。櫛の歯がぬけていくような気がする。一人去り、二人去ってだんだんと孤独になっていく人は、どうな道を歩むのだろうか、人生の大きな問題である。

中島敦の掌編『明月記』を読んだ。この小説の主人公、李徴は唐時代の科挙で進士に合格した秀才だある。しかし、彼の性格は狷介、自らの才能を鼻にかけ、片意地で人と相容れないところがあった。下吏となって俗悪な大官に仕えることを潔くとせず、早々に官吏を止め、人との交わりを断ち、詩作に耽るようになった。立派な詩を作り、自分の名を100年ののちに残そうとしたのである。

李徴の選んだ道は容易ではなかった。文名は上がらず、家族をかかえ日々の生活にも支障をきたすようになるまで、それほどの時間はかからなかった。万やむを得ず、地方の官吏についてみた。しかしかっての進士の時代に歯牙にもかけなかった俗物から下命を受けねばならず、李徴の心はさらに傷ついていった。そのためか、公用で汝水のほとりの宿で、ついに発狂した。突然に宿を出て、猛烈な勢いで走り出し、その行方は誰にも知られなかった。

袁傪は官吏で、李徴の同僚であった。唯一の友人であった。彼の資格は温和、狷介な李徴ともぶつからずに済んだ故であった。勅命で出張した袁傪の一行の前に、一匹の虎が踊り出てきた。この辺りには人喰い虎が出没するからと、注意を受けたばかりで、一行は大いに驚いた。しかし虎が袁傪の姿見るや、身を翻して草むら隠れた。「あぶない」と虎が漏らした人間の言葉は、袁傪には忘れもしない李徴の声と聞きとった。この虎こそ、李徴のなれの果であった。藪のなかから姿を見せず、李徴はかっての友袁傪と言葉を交わす。李徴は友に三つのことを頼んだ。ひとつは、自分が詠んだ詩30篇を伝録すること、もうひとつは故郷に残した妻子の飢えを救ってほしい。そして、今後この道は決して通らないでくれ。友とも知らず、自分の飢えのために食べる恐れがあるから。

虎はすでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮した。そして身を翻して草むらに入ると、あとはもう姿を見せることはなかった。
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濃霧

2017年11月29日 | 日記


昨日から高気圧が張り出して晴れとなったが、気温が下がったせいか濃い霧が発生している。気象庁の定義では、視程が1㌔未満になったときに霧、100m以下になったときは濃霧とされる。濃霧になる可能性があるときは、気象台は濃霧注意報を発令する。視程が短くなると、車の衝突事故が起こる可能性があるからだ。因みに、視程が1㌔以上ある場合は、もやと表現される。目視では、視程が100もないように感じるが、濃霧注意報が出ていないところを見ると、100m以上の視程はあるのであろう。

霧は地面に近い空気が冷やされ、水蒸気が埃などを核として凝結して小さな水滴となって浮遊している現象である。比較的地表に近いところにできる。蔵王山のような1500m以上もの高い地点から見ると、地面を覆う雲海になる。昨日も蔵王のスキー場は晴天で、でき始めた樹氷が非常美しく見える映像が放映されていた。春や秋に多く起きる気象現象だが、春には霞、秋には霧と呼ぶことになっている。万葉集や古今集などので、霧は多く詠まれているが、当時は季節による区別はなかったようで、秋にでる霧をわざわざ秋霧と表現している。

霧時雨富士を見ぬ日ぞ面白き 芭蕉

富士山にしても、明月にしても、詩人はその全容をみるより、霧や雲のなかにあるその姿を想像することで、詩的な刺激を受けたのであろう。今日の映像の溢れる世界では、霧の写真と霧のない富士の姿の写真を並べて出すようなことが行われている。
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物忘れ、その後

2017年11月28日 | 日記


川端康成に『山の音』という短編がある。主人公の尾形信吾は62歳、妻の保子はひとつ上の63歳である。息子は信吾と同じ会社に勤めているが、そこでは部屋付きの事務員とともに父の記憶係の役目を果たしている。家庭にあっては、妻と嫁が信吾の記憶係である。会社の仕事でも、家庭でもつい忘れることで、不便を感じる。周りの人の助けが必要な年齢になっているのだ。

妻は信吾の脇でよく眠る。鼾をかくこともある。ある夏の夜、外で虫が鳴いていた。信吾はふと山の音を聞いた。遠い風の音でもあり、地鳴りのような底力のある音であった。気味が悪くなり、脇で寝ている妻を起こそうとも思ったが、深い眠りに落ちている妻の顔を見て止めにした。実は保子は若くして死んだ妻の妹で、姉の看病でこの家に来て、亡くなった妻の後添えになっていた。

信吾は嫁の言葉に自分が肝心なことを忘れてしまっていることに愕然とする。「お母さまのお姉さまがおなくなりに前に、山の鳴るのをお聞ききになったっておっしゃったでしょう。」こんなことを忘れている自分に絶望を感じた。

9月の末にこのブログに物忘れの記事を書いた。「みんなの家庭の医学」を見て、脳内物質を増やして記憶力を復活させる方法に、タオルで両手のひらをこする、ことを勧めていた。あれから約2ヶ月、毎日10分これを継続している。私の場合、いちばん忘れるのは人の名である。それも、テレビで毎日のように見る俳優やタレントの名をすぐに忘れる。不思議に古い昭和の名優、女優の名は意外に覚えている。堺雅人、香川照之、反町隆、福山雅治という、ちょっと忘れるのが不思議なほどの有名人だ。

掌マッサージの効果はどうか。この2ヶ月の結果は?測定する方法もないが、このブログに書くのにこれらの名がすらすらと出てきたので、効果はあったのかな、と感じている。
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葉ボタン

2017年11月27日 | 日記


今朝と昨日の朝の気温は-5℃と冷え込んでいる。ツバキやサザンカ、キクなどのほかはほとんどの花が枯れているが、この葉ボタンの元気さには驚かされる。久しぶりの日光を全身で受けとめようとするかのように葉を大きく広げている。何よりも一枚一枚の葉が、少しの傷みもなく、まるで6月の植物のように元気よく伸びているところがすばらしい。耐寒性に強く、ほかの草木が冬ごもりへと向かっている間に、美しい葉が目を楽しませてくれる。

葉牡丹やわが想ふ顔みな笑まふ 石田 波郷

葉ボタンは、アブラナ科のキャベツの変種で、キャベツのように結球しない。色づく葉が、牡丹を思わせるにで、こう呼ばれている。写真のようなクリーム色の葉を、白葉ボタンと言われる。正月の生け花として利用される。越冬した葉は、春になって茎を出し、花もつける。
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害獣

2017年11月26日 | 日記


イノシシや熊、猿などが収穫期の田畑を荒らすことがニュースになる。森林にこれらの動物の餌が少なく、里の田畑の作物の味を覚えて、人里近くに降りてくるようになったと言われる。百人一首の冒頭に天智天皇が詠んだされる歌が据えてある。

秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ

これは、稲の実った田を守るために仮庵を立てて、害獣の害を避けるために泊り込んで番をしているという意味である。我が衣手とは、天皇自らの衣の袖のことだ。天皇がそんな労働にかかわるはずもなく、農民の苦労を思いやった歌とされている。

この歌から読みとれることのひとつは、こんな万葉の時代においても、田や畑を荒らす獣や鳥がいたことである。人間の生活圏と害獣のそれとは、おのずから隔たっていて、お互いに立ち入らない線のようなものがあると考える人がいるが、それは事実ではない。人は自分の田畑を守るためにこんな昔から努力していたことが知れる。

もうひとつは天皇が農耕する筈がないというのも違うような気がする。記紀にはアマテラスなどの天つ神は自ら農耕と機織りをしていたと記されているし、スサノウなどの国つ神は狩猟、漁労、採集する神なっている。宮中には今なお天皇がお作りになる田があり、そこで田植えや稲刈りをする儀式も行われる。

この歌が来年の日本詩吟学院の独吟コンクールの課題吟になっており、自分もこの歌を選んだので、歌の解釈には大いに注目しなければならない。

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