今年は近所に住む人たちの訃報を多く聞いた年であった。同世代で、同じ地域で生きてきた人ばかりなので、寂しさが一入である。櫛の歯がぬけていくような気がする。一人去り、二人去ってだんだんと孤独になっていく人は、どうな道を歩むのだろうか、人生の大きな問題である。
中島敦の掌編『明月記』を読んだ。この小説の主人公、李徴は唐時代の科挙で進士に合格した秀才だある。しかし、彼の性格は狷介、自らの才能を鼻にかけ、片意地で人と相容れないところがあった。下吏となって俗悪な大官に仕えることを潔くとせず、早々に官吏を止め、人との交わりを断ち、詩作に耽るようになった。立派な詩を作り、自分の名を100年ののちに残そうとしたのである。
李徴の選んだ道は容易ではなかった。文名は上がらず、家族をかかえ日々の生活にも支障をきたすようになるまで、それほどの時間はかからなかった。万やむを得ず、地方の官吏についてみた。しかしかっての進士の時代に歯牙にもかけなかった俗物から下命を受けねばならず、李徴の心はさらに傷ついていった。そのためか、公用で汝水のほとりの宿で、ついに発狂した。突然に宿を出て、猛烈な勢いで走り出し、その行方は誰にも知られなかった。
袁傪は官吏で、李徴の同僚であった。唯一の友人であった。彼の資格は温和、狷介な李徴ともぶつからずに済んだ故であった。勅命で出張した袁傪の一行の前に、一匹の虎が踊り出てきた。この辺りには人喰い虎が出没するからと、注意を受けたばかりで、一行は大いに驚いた。しかし虎が袁傪の姿見るや、身を翻して草むら隠れた。「あぶない」と虎が漏らした人間の言葉は、袁傪には忘れもしない李徴の声と聞きとった。この虎こそ、李徴のなれの果であった。藪のなかから姿を見せず、李徴はかっての友袁傪と言葉を交わす。李徴は友に三つのことを頼んだ。ひとつは、自分が詠んだ詩30篇を伝録すること、もうひとつは故郷に残した妻子の飢えを救ってほしい。そして、今後この道は決して通らないでくれ。友とも知らず、自分の飢えのために食べる恐れがあるから。
虎はすでに白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮した。そして身を翻して草むらに入ると、あとはもう姿を見せることはなかった。