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良寛が文雅の道の友人である阿部定珍の来訪を受けた夜には、今夜のような月が出たであろうか。秋の月は雲にさえぎられ、雨に降られて見られないことも多い。阿部定珍は良寛が住んだ五合庵に近い渡部の庄屋で、酒造業を営んでいた。歌や詩文を好んでいたので、酒を携えて良寛を訪れた。その度ごとに、歌を応酬していた。
月読みの光をまちてかへりませ 山路は栗のいがの多きに 良寛
上の句では、友人・定珍との清談をいま少し続けたく引き止めようとする気持ちが詠まれれている。下の句ではやさしい思いやりの気持ちが巧みに表現されている。月光、山路、栗のいがなど、目に見える具体的なものがそのやさしさの裏打ちとなっている。
万葉集には
夕闇は道たづたづし月待ちて いませわが背子その間にも見む 巻4・709
これは三宅女が詠んだ妻問いの男を引き止める、艶かしいうたである。伊藤博はこの歌に
「夕闇は道が暗くて心もとのうございます。月の出を待ってお帰りなさいませ、あなた。せめてその間だけでもお顔を身とうございます」という解釈をしている。
女ごころの甘えや媚とともにやさしい心根が表現されている。良寛は、こんな歌があることを文雅に道にある友人と共有していればこそ、この宵の清談はいっそう興趣の深いものになったであろう。
満月の写真は、三脚を使って夜景モードで撮った。月は出始めであったので、もう一度試みようとした時は、既に雲に隠れてしまっていた。